散居村
散居村(さんきょそん)は、広大な耕地の中に民家(孤立荘宅)が散らばって点在する集落形態。一般的には散村(さんそん)と呼ばれる。集村と対比して語られることが多く、一般には集村が普遍的で散村は比較的少ないと考えられているが[1]、実際には世界的に広く見られる集落形態である。
日本においては島根県の出雲平野、香川県の讃岐平野、静岡県の大井川扇状地、長崎県の壱岐島、北海道の十勝平野、岩手県の胆沢扇状地、秋田県の横手盆地北部(仙北平野)、富山県の砺波平野や黒部川扇状地などがその典型例である。なかでも日本国内最大とされる砺波平野では現在、およそ220平方キロメートルに7,000戸程度が散在している[2]。
世界ではイギリスの大半、フランス西部からライン川下流域、イタリアのポー川流域、スカンジナビア半島、バルカン半島北西部、エジプト、台湾北部、中国・東北区の北部などで民族にかかわりなく認められる[1][3]。
成立の要因
自然条件、あるいは土地所有や相続制度など民族的伝統によって古くから成立したものもあるが、近代の開拓地で形成されたものが多い。国内では北海道の屯田兵村やいくつかの局地的なものを除くと、それらの起源は必ずしも明らかではない。砺波平野の散村は中世まで遡りうるが、一般的には治安が安定し、為政者にとっても農民にとっても生産性向上への関心が高まる近世期以降に形成または拡大したと考えられる。
砺波平野の散居村
この景観が成立したのは、16世紀末から17世紀にかけてであると考えられている。砺波平野を流れる庄川は江戸時代以前にはしばしば氾濫したため、この地域に住みついた人々は平野の中でも若干周囲より高い部分を選んで家屋を建て、周囲を水田とした[4]。このような住居と水田の配置は農業者にとっては便利であったため、前田家による田地割政策下でもこの地域の農民たちは引地、替田を行って自宅周辺に耕作地を集めようとした[5]。
家屋が1か所に集まって集落を形成するということが無かったため、冬にはそれぞれの家屋が厳しい風雪に直接晒されることとなり、家屋の周囲にカイニョと呼ばれる屋敷森を形成してこれに対処するようになった。一般的には防風効果もあり、燃料となり、建築用材になる杉が多い。栗 ・柿・梅など実ができる樹木も植え、女の子が生まれると桐の木を植え、嫁入りに備えた。「高 (土地)を売ってもカイニョは売るな」「塩なめてもカイニョを守れ」[6]と大切にされた。
なお、この地域の伝統的な家屋には「アズマダチ」(切妻造)や「マエナガレ」(平入り)がある。研究者として始めに注目したのは、京都帝国大学の地質学者の小川琢治である。
「散居村」と「散村」
家々が点在する集落形態を一般的には「散村」という。地理学の分野や社会科の教科書などでは「散村」の用語が使われ、国内で広く浸透している。一方、砺波平野が所在する富山県内では「散居村」の用語が定着している。富山県内において散村という用語は、教育現場や地理学界以外ではほとんど目にすることがなく、散村が山村と同音で混同するといった理由などで行政やマスコミでは「散居村」が使われ、一般化している。それぞれの用語の歴史について見てみると、「散村」は1909年に京都帝国大学の小川琢治教授が調査したのがはじまりである。「散居村」という用語について確認できる最も古い資料は1952年の『アサヒグラフ』の「散居村 ―富山県砺波平野にて―」というグラビアページである。この頃すでに「散居村」を使用していたことを示す資料ではあるが、「散居村」という用語が富山県内に広く普及していくのは1980年代(昭和50年代後半)以降である。
脚注
- ^ a b 木内ほか、1967、143ページ
- ^ “散居村について”. となみ散居村ミュージアム. 2020年3月14日閲覧。
- ^ 「民族にかかわりなく」とあるのは、ドイツのスラブ系住民の集落に多い「円村」など、民族性を反映した集落もあることに起因する。
- ^ あずまだち高瀬(南砺市ウェブサイト)
- ^ 砺波市ウェブサイト
- ^ 加藤迪男『お国柄ことばの辞典』東京堂出版、98頁。
参考文献
- 小川琢治「越中国西部の荘宅Homesteadsについて」『地学雑誌』、1914年
- 柳田國男「散居制村落の研究」『郷土研究』3巻2号、1915年
- 牧野信之助「旧加賀藩の散居村落制について」『地学雑誌』1915年
- 小川琢治「人文地理学上より観たる日本の村落」『地球』5巻4号、1926年
- 藤田元春「越中カイニヨ式住宅」『日本民家史』、昭和2年
- 小川琢治「居住地理学の問題としての日本住宅」『地球』9巻1・2号、1928年
- 牧野信之助『武家時代社会の研究』、1928年
- 石井逸太郎「居住地理学上より見たる越中平野」『地理学評論』6巻7号、1930年
- 村田貞蔵「散村の分散度を知る一方法」『地理学評論』6巻12号、1930年
- 東木龍七「庄川扇状地面」『地誌学』、1931年
- 松井勇「砺波平野の一部に於ける散村の分布状態に関する統計的一考察」『地理学評論』7巻6号、1931年
- 牧野信之助「散居並に環濠部落について」『歴史と地理』27巻1〜3号、1931年
- 村松繁樹「砺波平野に於ける散居村落に就いて」『歴史と地理』28巻4号、1931年
- 木内信蔵・藤岡謙二郎・矢嶋仁吉『集落地理学講座 第1巻 総論』朝倉書店、1957年9月30日、p. 419
- 石井英也「散村 dispersed settlement」『人文地理学辞典』朝倉書店、1997年10月、p. 178