(更新:)
ORICON NEWS
念願のフジ月9に「フワフワした気持ち」 かねてから関心があった医療ドラマ出演に使命感
野呂佳代 フジテレビの月9ドラマは昔から欠かさず観ていましたし、まさかオファーを頂けるとは思ってなかったので、決まった瞬間にめっちゃ喜びました。撮影中の今もなんだかフワフワした気持ちです。よくバラエティで「本業として女優をやりたい」と言っているのですが、これはネタではなくて本心なんです(笑)。なので、今回“月9女優”という夢が叶って、毎日嬉しい気持ちで過ごしています。
――ベテラン看護師の益田舞子という役を演じてらっしゃいますが、リアルにベテラン感を出されていて、とても説得力があるなと。
野呂佳代 本当ですか? もちろん、お芝居がやりたくて今回挑戦させて頂いていますが、ちゃんとできているかどうかはわからないので不安だらけです(笑)。
野呂佳代 昔から医療現場を扱ったドキュメンタリーやドラマなどに関心があって、人間はどういう風に助けられているのかを知りたいという思いが強かったんですよね。ボランティアで老人ホームに伺っていた時期もありますし、祖母が入院していた時も2年前に母親が病気をした時も、お世話になったお医者さんや看護師さんの対応が本当に素晴らしくて、医療現場で働く方達をどこか身近に感じていました。今もコロナ禍で本当に大変な状況の中、人命を守ってくださっているので感謝しかないですよね。だから、自分が医療ドラマでベテラン看護師を演じることで、視聴者の皆さんに少しでも医療現場で働く方達を身近に感じてもらえたらいいなと、そんな思いを持って挑んでいます。
AKB時代は「嫉妬と劣等感の塊」 卒業後は芸能界引退を考える日々…
野呂佳代 これまで様々なことを経験してきましたが、デビュー前から女優を目標としていた私にとって、『ナイト・ドクター』への出演は凄く大きな出来事というか、自分がやりたかったことの1年生にようやくなれたような気がします。15年経って、やっと一歩を踏み出せたような感覚はありますね。
――アイドルよりも女優になることが一番の目標だったのでしょうか。
野呂佳代 もともと女優さんになりたくて、その足がかりとして秋元康さんという私の大好きな方がプロデュースしているアイドルのメンバーに応募したというのが正直なところで。大げさに言えば、これまでの15年間は女優になるための下積みだったのかなと。この世界で15年間色んな経験をさせて頂いたおかげで、今回のドラマ出演に繋がったと思うので、色々と大変なことはありましたけど、いまとても充実しています。
野呂佳代 もう初日からずっと嫉妬と劣等感の塊でした。周りは凄いなとずっと思ってたし、もちろん私だって神7に選ばれたかったです(笑)。でも、まず年齢でその希望は打ち砕かれました。何をしゃべっても“ばばあ”扱いされるのが凄く嫌だったので、そうならないための話術を勉強したこともありました。体型も、自分ではメリハリがあっていいよねと思っていたのですが、AKBのハイタッチ会で“アイドルとはこういうもの”というのを熱心に教えてくれる方がいて、そこから劣等感を抱くようになってしまったんです。最近はどんな体型でもポジティブに捉えてもらえる世の中になりつつありますし、ようやく“ぽっちゃり”が私の個性として見てもらえる良い時代になったなと実感しています。劣等感から抜けられたのは、本当につい最近ですね。
野呂佳代 正直な話、卒業後は芸能界を辞めたほうがいいんじゃないかと思うことがたくさんありました。AKBという大きな看板がない中で、どう考えても自分一人で芸能界にいられる要素が一つもないなと。でも、そんな投げやりになっていた時に、マネージャーさんから「仕事をオファーして下さった人達に対してどう思ってる?」と聞かれて。48にいた頃は常に仕事が用意されていて、そのありがたみにあまり感謝することなく、“やるべきことを怠ってきた”ということに気付かされたんですよね。
――そこからどうやって気持ちを立て直したのでしょうか。
野呂佳代 ここで投げ出してしまったら誠意を見せられないと思ったので、そこからは仕事をオファーして下さった方々と、応援してくださっている方々に全力でお返しする気持ちでやるようになりました。能力がない中、雰囲気でやってきたところもあるので、38歳まで芸能界に残れていることが凄いなと、改めて思いますね。
いじられ役に対する葛藤は“ザコシ完コピ”で「吹っ切れた」 結婚後の変化も
野呂佳代 めちゃくちゃ悩みましたね。お笑いは好きでしたけど、なりたくていじられキャラになったかと言われるとそうではないので(笑)。どうにかして自分が活躍できる場所を模索した結果、自然な流れでいまの場所に辿り着いたというか。『ゴッドタン』(テレビ東京系)で、ハリウッドザコシショウさんを完コピする企画があって。それをやった時に、“私はこれでいいんだ”と吹っ切れた感じが凄くあって、“自分の居場所を見つけた!”と思いました(笑)。時間はかかりましたけど、いまはバラエティ番組での自分のキャラを受け入れていますね。
――芸能活動15年の中で、ターニングポイントはどこだったと思われますか。
野呂佳代 8年前くらいに『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)に出た時に、有吉(弘行)さんにめちゃくちゃ説教されたんです。「有吉先生のタレントマジ進路相談」という企画で、その時グループ卒業後から自分の中に蓄積されていた悩みや葛藤を素直に言っちゃったんですけど、そこでガツンと言われて目が覚めたというか。(当時、野呂はパチンコのレギュラー番組を担当していたが、パチンコがあまり好きでないことや将来の不安を打ち明けると、有吉から「パチンコ番組、全力でやれバカ!」と一喝された)そこから、私はバラエティで頑張っていかなくちゃいけないんだと思い知らされましたし、名前を知ってもらうきっかけにもなったので、今思うとこの時がターニングポイントだったんじゃないかなと思います。有吉さんはいまだに会うと緊張しますし、一生師匠のような存在ですね。
野呂佳代 “絶対的な味方がいる”という安心感ができて、仕事がやりやすくなりました。旦那さんはもともとタレントとしての野呂佳代を良いと思ってくれていた人なので、仕事への理解がものすごくある人なんです。だからこそ、今まで以上に色んなことに挑戦してみたくなりましたし、前向きになれる時間も増えました。ただ…主婦業は全然できていないです(笑)。
――素敵なご関係ですね。では最後に、今後の展望を教えて頂けますか。
野呂佳代 40代に向けて楽しく年を重ねたいのと、いまぽっちゃりモデルをやらせてもらっているので、色々なコンプレックスを抱えた女性が前向きになれるような活動ができたらいいなと思っています。あと、自分の一番やりたいことはやはり女優業なので、今後は女優のオファーが増えたら凄く嬉しいです。私が大好きな深津絵里さんや小池栄子さんを目標と言うのはおこがましいかもしれませんが、少しでもお2人に近づけるようなお芝居ができたらいいなと思っています。
(取材・文=奥村百恵)