[go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

古典風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。灰色の海 (会話 | 投稿記録) による 2021年6月24日 (木) 09:53個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (テンプレート追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

古典風」(こてんふう)は、太宰治短編小説

概要

初出 『知性』1940年6月号
単行本 女の決闘』(河出書房、1940年6月15日)
執筆時期 1940年4月下旬頃完成(推定)[1]
原稿用紙 31枚

本作品は、1937年(昭和12年)10月から12月の間に書かれた未発表の旧稿を書き改めたものである。旧稿のタイトルは「貴族風」といった[1]。妻の美知子は「本文は配置を換え、用語を改めているが総枚数は新旧同じで、大きい改ざんはされなかったようである」と述べている[2]

あらすじ

美濃十郎が酔いしれて帰宅すると、家の中はざわめいていた。部屋には母がひとり離れて坐っていて、それと向い合って召使いのものが5、6人、部屋の一隅に座っていた。

「あなたは、私のペーパーナイフなど、お知りでないだろうね。銀のが。なくなったんだがね」と問われ、十郎は「存じて居ります。僕が頂戴いたしました」と答える。十郎は伯爵美濃英樹の嗣子である。

夜が明けると枕もとに小さい女の子がうつむいて立っていた。このごろ新しく雇いいれた下婢に相違なかった。名前は知らなかったが、「ばかなやつだ」と意味なく叱咤した。ペーパーナイフを盗んだのは果たしてその下卑であった。

尾上てるは、浅草のある町の三味線職の長女として生れた。てるが13歳の時、父は大酒のために指がふるえて仕事ができなくなり店は崩壊する。18歳になって、向島の待合の下女をつとめ、そこの常客にだまされ、ナフタリンを食べて死んだふりをして見せた。5年ぶりで生家へ帰った時、店は勘蔵という腕のよい実直な職人を捜し当て、回復しかけていた。てるはお得意筋の口添で奉公先がきまった。美濃伯爵家である。

てるは奉公に来て二日目の朝、庭先で十郎の手帖を一冊拾う。十郎のいわば悪魔のお経が、てるの嫁入り前の大事なからだに悪い宿命の影を投じる。

雨降る日、十郎が書斎で書きものをしていると遊び仲間の詩人が現れた。十郎は自分の労作を読み始める。カリギュラの妹のアグリパイナと、彼女とブラゼンバートの間に生まれたネロは、カリギュラの命により、南海の一孤島に流される。カリギュラが臣下に葬られると、カリギュラの叔父のクロオジヤスがその後を継いだ。クロオジヤスは二人への赦免の書状に署名をなす。

脚注

  1. ^ a b 『太宰治全集 第3巻』筑摩書房、1989年10月25日、438-440頁。解題(山内祥史)より。
  2. ^ 津島美知子 『回想の太宰治』人文書院、1978年5月20日。

関連項目

外部リンク