竹田 益州(たけだ えきじゅう、1896年(明治29年)- 1989年(平成元年)6月20日)は、昭和を代表する臨済宗の禅僧。俗姓は最初は土田で、のち竹田と改姓。法諱は宗進、道号は益川。室号は金剛窟。大分県西国東郡上真玉村(現・豊後高田市)出身。1954年から1989年まで臨済宗建仁寺派管長を務めた。