池田 長発(いけだ ながおき、天保8年7月23日〈1837年8月23日〉- 明治12年〈1879年〉9月12日)は、日本の政治家。旗本・備中国井原領主。 幕末、外国奉行に任じられ、使節団一行を率いて渡欧。貿易の抑制政策が進む横浜港の全面的封鎖を談判する目的でまずフランスへ赴いたが、パリ約定の締結により大譲歩を余儀なくされた。他国との交渉も諦めて帰国した池田は、使命を達しなかったとして幕府から譴責を受けた。