岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(1845年12月8日)- 明治39年(1906年)1月4日)は、日本の江戸時代後期から明治期の武士(土佐藩士)、官僚、華族である。初名は精一郎。 宿毛領主伊賀家に仕えた(礫水)の三男で、岩村通俊、林有造の弟。位階勲等は従二位、勲二等、男爵。美術評論家・美術史家の岩村透は長男、次男は建築家の竹腰健造。