山本 凌亭(やまもと りょうてい、1865年10月5日(慶応元年10月5日) - 1938年(昭和13年)11月11日)は、日本の南宗画家。児玉果亭の門人。果亭の門人は数多くあったが最後まで門人として続いた人は山本凌亭一人である。果亭は「自分を凌ぐ」と期待し凌亭という号を与えた。本名は山本 祐善(やまもと ゆうぜん)。 信濃国高井郡佐野村(現在の長野県下高井郡山ノ内町)出身。同村角間温泉「群芳草庵」を画室とし児玉果亭の粉本巻物の「歌仙詩意」は凌亭の筆である。果亭塾に入門翌年の1885年(明治18年)制作の六曲屏風である「飲中八仙図」(山本凌亭筆、春日喜一郎書)は凌亭21歳の時の書で児玉果亭書の「飲中八仙図」よりも10年も早く、この絵からも果亭が「自分を凌ぐ」という意味の凌亭という号を与えたのもうなずける名作である。