吉志舞(きしまい)とは大嘗祭などで、安倍氏の当主等が監督して、闕腋袍(けってきのほう)等、主に武官の服装で、踊られた舞楽。吉師舞、吉士舞等とも表記される。舞い方自体は伝承されていない。(たてふしまい:楯伏舞、楯臥舞等とも表記)と同じものと考えられる。伝説では、神功皇后が新羅征伐後、凱旋し、安倍氏の祖先によって、大嘗祭で踊られたものであるという。また、住吉大社には、神功皇后帰還の時、出迎えた、現在堺市にある七道浜の住人が、傘を被って踊ったものが起源であり、住吉踊りはこの伝統を継承している、との伝承がある。 吉師とは大和朝廷にて外交や水軍などに関係した氏族を指し、渡来系のものが多かったという。安倍氏は吉師と関係があった。