南条 貞宗(なんじょう さだむね、延元4年/暦応2年(1339年)? - 元中8年/明徳2年(1391年)?)は南北朝時代の武将で伯耆国羽衣石城に拠点を置いた国人・南条氏の始祖。通説では出雲国守護の塩冶高貞の次男といわれており尼子南条伯耆守と称した。子に南条景宗、機堂長応、尼子右衛門尉経時。初名は高秀。