円照院(えんしょういん、慶長2年(1597年) - 寛永20年10月18日(1643年11月29日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。姫路藩主本多忠政の次女。母は松平信康の次女・熊姫。小笠原忠脩正室、後に小倉藩主・小笠原忠真正室。実名は亀姫(かめひめ)。 曽祖父徳川家康の養女となり、自身の母方の従兄で家康の曾孫にあたる松本藩の世嗣・小笠原忠脩に嫁いだが、元和元年(1615年)4月、夫が大坂夏の陣で戦死した。 家康の命により、元和2年(1616年)12月、忠脩の同母弟・忠真に再嫁した。 寛永20年(1643年)に47歳で死去し、浅草海禅寺に葬られた。法名は円照院華陽宗月大姉。