兼子 正(かねこ ただし、1912年(明治45年)2月25日 - 1942年(昭和17年)11月14日)は、日本の海軍軍人。空母艦上戦闘機搭乗員として、日中戦争及び太平洋戦争で8機以上撃墜(公認)の撃墜王となる。ガダルカナルへの高速輸送船団の上空直衛の戦闘にて戦死。最終階級は海軍少佐、没後昇進で中佐。本籍は山形県西村山郡谷地町。