有馬氏恕
有馬 氏恕(ありま うじよし)は、江戸時代中期から後期の大名。伊勢西条藩の第5代藩主で、陣屋を移転して上総五井藩の初代藩主となった。氏倫系有馬家5代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 宝暦11年(1761年) |
死没 | 天明3年9月26日(1783年10月21日) |
別名 | 恕吉 |
戒名 | 孔昭院殿徳英義音大居士 |
墓所 | 東京都渋谷区広尾の祥雲寺 |
官位 | 従五位下、兵庫頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢西条藩主→上総五井藩主 |
氏族 | 堀氏→摂津有馬氏 |
父母 |
父:堀親長、母:石川氏 養父:有馬氏房 |
兄弟 |
堀親忠、氏恕、堀親民、堀親寚、 土岐頼功 |
子 | 養子:氏保 |
生涯
編集安永2年(1773年)閏3月、堀家の縁戚である伊勢西条藩有馬家[1]で、第4代藩主の有馬氏房が嗣子なくして早世したため、その末期養子となる。同年5月14日に正式に遺領継承が認められ、13歳で西条藩主となった。安永4年(1775年)4月28日、徳川家治に初謁する。安永8年(1779年)12月16日、従五位下兵庫頭に叙せられる。
天明元年(1781年)11月28日、陣屋を上総国市原郡五井に移したため、以後は五井藩主となる。伊勢の所領は代官の棚瀬氏が管理している。天明2年(1782年)2月15日には、初めて領国に入るための暇を得ている(参勤交代)。
天明3年(1783年)9月26日、23歳で死去した。本家に当たる久留米藩主・有馬頼貴の養女(石野範至の娘)との婚約があったが、氏恕が没したため婚姻は実現しなかった[2]。
系譜
編集父母
婚約者
養子
脚注
編集参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第四百七十