高辻家
高辻家(たかつじけ)は、菅原氏嫡流にあたる公家・華族だった家[1]。公家としての家格は半家、華族としての家格は子爵家[2]。
高辻家 | |
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本姓 | 菅原朝臣嫡流 |
家祖 | 高辻是綱 |
種別 |
公家(半家) 華族(子爵) |
出身地 | 山城国平安京 |
主な根拠地 |
山城国平安京 東京府北多摩郡武蔵野町 |
著名な人物 | 菅原為長 |
支流、分家 |
唐橋家(半家・子爵) 五条家(半家・子爵) 西高辻家(社家・男爵) 前田家(武家・士族) 久松氏(武家・伯爵)? |
凡例 / Category:日本の氏族 |
歴史
編集贈太政大臣菅原道真の六世孫菅原是綱(正四位下・大学頭)(1030年 - 1107年)を祖とする[1][3]。
学問の研鑽に努め、代々文章博士と天皇の侍読を務めることを家業とした紀伝道の家である[4]。
菅原氏の嫡流にあたるが、是綱の弟在良の系流(唐橋家)や輔方の系流に対して家格の差はそれほどなく、天皇の侍読や菅原氏長者の地位も独占しているわけではなく、いずれの系流からも出ている[4]。天皇の侍読になった当主はおおむね高い官位に昇っている[4]。
平安時代末期から鎌倉時代前期の当主菅原為長(1158年 - 1246年)は家例として初めて参議に列した[4]。その長男長成の系譜が高辻家となった[4]。なお為長の四男高長の系流は五条家となった[4]。
南北朝時代の長衡は従三位から左大弁となる前例を拓き、継長(1414年 - 1475年)は従三位・左大弁・参議・正二位へ進み、文明2年(1470年)に権大納言に昇進した。これ以降高辻家は権大納言を極官とするようになった[4]。
戦国時代には経済的困窮からしばしば地方へ下向するようになり、継長は加賀国、その孫の章長は越前国一乗谷で死去している[5]。
安土桃山時代の高辻長雅(正二位・権大納言・式部大輔)(1515年 - 1580年)の代で中絶する[5]。
江戸時代前期の寛永11年(1634年)に後水尾上皇の命で同族の五条家から高辻遂長(かつなが)(正三位・参議・大蔵卿)(1600年 - 1643年)を養子として家名が再興される[6]。
公家としての家格は半家[4]、旧家[7]、外様[4]。一条家の家札[5]。江戸時代の所領の表高は200石[4][注釈 1]。屋敷は新烏丸通丸太町にあった[7]。菩提寺は浄福寺[7]。
明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると高辻家も公家として華族に列した[8][9]。
明治3年12月10日に定められた家禄は、現米で285石1斗[10][注釈 2]。明治9年8月5日の金禄公債証書発行条例に基づき家禄と引き換えに支給された金禄公債の額は1万2915円28銭5厘(華族受給者中268位)[12]。
明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 3]として修長が子爵に叙された[14]。修長は宮内省に勤務し、侍従や宮内書記官、東宮侍従長、宮中顧問官などを歴任した[3]。その子宜麿も宮内省に勤務した[3]。彼の代に高辻子爵家の邸宅は東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺にあった[3]。
系図
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末期の高辻家領は、山城国愛宕郡一乗寺村のうち79石8斗4升1合6勺、山城国葛野郡朱雀村のうち10石、山城国葛野郡上桂村のうち100石、山城国紀伊郡吉祥院村のうち11石であり、合計4村・200石8斗4升1合6勺。
- ^ 明治3年12月10日に定められた堂上華族の家禄の計算方法は、本禄米に分賜米・方料米・救助米・臨時給与を合算して現高を出し、現米と草高の比率である四ッ物成で計算して草高を算出し、その二割五分を家禄とするものである[11]。
- ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規は歴代当主の中にこの大納言直任の例があるか否かで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[13]。
出典
編集- ^ a b 橋本政宣 2010, p. 767.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 332.
- ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 220.
- ^ a b c d e f g h i j 橋本政宣 2010, p. 768.
- ^ a b c 橋本政宣 2010, p. 769.
- ^ 橋本政宣 2010, p. 770.
- ^ a b c 太田 1934, p. 3300.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1985, p. 8.
- ^ 刑部芳則 2014, pp. 105–106.
- ^ 石川健次郎 1972, p. 56.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 329.
- ^ 松田敬之 2015, p. 544-545.
参考文献
編集- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
- 石川健次郎「明治前期における華族の銀行投資―第15国立銀行の場合―」『大阪大学経済学』第22号、大阪大学経済学部研究科、1972年、27 - 82頁。
- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 高辻 タカツジ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、3300頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 刑部芳則『京都に残った公家たち: 華族の近代』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー385〉、2014年(平成26年)。ISBN 978-4642057851。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『昭和新修華族家系大成 別巻 華族制度資料集』霞会館、1985年(昭和60年)。ISBN 978-4642035859。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036702。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 橋本政宣『公家事典』吉川弘文館、2010年(平成22年)。ISBN 978-4642014427。
- 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』吉川弘文館、2015年(平成27年)。ISBN 978-4642014724。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。