馬毓宝
馬 毓宝(ば いくほう)は、清末民初の軍人。字は元良、孝先。
馬毓宝 | |
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プロフィール | |
出生: | 1864年(清同治3年) |
死去: |
1933年(民国22年)2月1日 中華民国 |
出身地: | 清安徽省潁州府蒙城県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 馬毓寶 |
簡体字: | 马毓宝 |
拼音: | Mǎ Yùbǎo |
ラテン字: | Ma Yü-pao |
和名表記: | ば いくほう |
発音転記: | マー ユーバオ |
事跡
編集1908年(光緒34年)、北洋陸軍大学正則班第1期卒業。陸軍第35標標統、九江都督となる。辛亥革命後に江西都督に擁立されたが、1912年(民国元年)1月、辞任した。その後、北京政府大総統顧問などをつとめる。国民政府でも参軍処参軍となった。
1933年(民国22年)2月1日、死去。享年70。
参考文献
編集- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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