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遼陽府(りょうようふ)は、中国にかつて存在した遼代から初にかけて、現在の遼寧省遼陽市一帯に設置された。

概要

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919年神冊4年)、契丹により遼陽故城に東平郡が立てられ、防禦州とされた。928年天顕3年)、東丹国が天福城から遼陽城に移され、東平郡は南京に昇格した。938年(天顕13年)、南京は東京と改められ、遼陽府が置かれた。東京遼陽府東京道に属し、遼陽・仙郷・鶴野・析木・紫蒙・興遼・粛慎・帰仁・順化の9県を管轄した[1]

のとき、東京遼陽府は東京路に属し、遼陽・鶴野・宜豊・石城の4県と長宜鎮を管轄した[2]

1288年至元25年)、により東京遼陽府は遼陽路と改められた。遼陽路は遼陽等処行中書省に属し、遼陽県と蓋州・懿州の2州1県を管轄した[3]

1371年洪武4年)、により定遼中衛に定遼都衛が置かれた。1375年(洪武8年)、定遼都衛は遼東都指揮使司と改められた。遼東都指揮使司は山東省に属し、25衛と自在州安楽州を管轄した[4]

1653年順治10年)、清により遼陽府が置かれた。1657年(順治14年)、遼陽府の府治は盛京城に移転され、遼陽府は奉天府と改称された。奉天府は盛京将軍に属し、承徳開原鉄嶺海城蓋平遼陽州復州金州庁の1庁2州5県を管轄した[5]

1912年中華民国により奉天府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 遼史』地理志二
  2. ^ 金史』地理志上
  3. ^ 元史』地理志二
  4. ^ 明史』地理志二
  5. ^ 清史稿』地理志二