躁公(そうこう)は、秦の第18代公。厲共公の子。
厲共公34年(紀元前443年)、厲共公が薨去すると、後を継いで秦公となった。
躁公2年(紀元前441年)、南鄭[1]が叛いた。
躁公13年(紀元前430年)、義渠(ぎきょ)[2]が渭水の北まで来攻した。
躁公14年(紀元前429年)、薨去し、弟の懐公が立って秦公となった。