牧長清
牧 長清(まき ながきよ)は、戦国時代の武将。織田信長の妹婿に当たる[1]。最後の尾張守護・斯波義銀の従兄弟に当たる[2]。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 永禄13年2月15日(1570年3月21日) |
別名 | 通称:与三右衛門 |
主君 | 織田信長 |
氏族 | 牧氏 |
父母 |
父:牧長義 母:長栄寺殿(織田信定の娘)? |
兄弟 | 長清、長正 |
妻 | 正室:織田信秀の娘・小林殿 |
子 | 不詳 |
生涯
編集父は尾張小林城主で信長の叔母を妻とする牧長義。長清の生母は長栄寺殿とも言われるが不詳[1]。長清は信長の妹を娶っているため、牧家と織田家は二重の縁で結ばれた事になる[2]。長清は信長の妹を正室にしている事で尾張中から羨まれたという[注釈 1]。長清の武将としての業績は不明であるが、仏教に帰依して諸国の名山に登る事を好み、富士山の7回登山を発願して3回実現したが、老境に及んで果たせぬ事を惜しみ、遂に富士塚を築いて浅間社を勧請した(『尾張志』)。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『尾張志』では「信長公の妹を娶りて、国中の幸ひ人、栄花人に過たり」と言われている。