榊田敬二
さかきだ けいじ 榊田 敬二 | |||||
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本名 | 榊田 敬治(さかきだ けいじ) | ||||
別名義 | 榊田 敬治 | ||||
生年月日 | 1900年1月15日 | ||||
没年月日 | 不詳年 | ||||
出生地 | 日本 秋田県仙北郡大曲町[注釈 1] | ||||
職業 | 俳優 | ||||
ジャンル | 劇映画(現代劇・時代劇、特撮映画、サイレント映画・トーキー) | ||||
活動期間 | 1921年 - 1975年 | ||||
主な作品 | |||||
『ゴジラ』 | |||||
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人物・来歴
編集1900年(明治33年)1月15日、秋田県[3][4]仙北郡大曲町[注釈 1]に生まれる[6][8]。
東京に移り、旧制・赤坂中学校(現在の日本大学第三高等学校)を卒業後、1921年(大正10年)10月、高田馬場に撮影所を持つ小松商会に入社し、『熱火の狼』に出演し、満21歳で映画界にデビューした[出典 4]。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の後、京都に移り、日活大将軍撮影所に入社、1924年(大正13年)7月4日に公開された三枝源次郎監督の『民族の黎明』に出演している[6]。同撮影所での出演記録は不明であるが、1926年(大正15年)早々までには東京に移り、高松豊次郎のタカマツ・アズマプロダクションの作品に出演。同年1月22日に公開された山本嘉次郎および横田豊秋(のちの俳優宇留木浩)の共同監督による『男児一諾』に出演しているが、同作の製作は「マキノ・プロダクション東京撮影所」(マキノ東京派)、実体は「タカマツ・アズマプロダクション」である。1927年(昭和2年)秋には京都に戻り、日活大将軍撮影所で脇役を務めている。
1930年(昭和5年)、太秦撮影所を使用していた帝国キネマ演芸に移籍し、同年11月20日に公開された高見貞衛監督の『素晴らしい奴』などに出演したが、同社は翌1931年(昭和6年)8月28日に新興キネマに改組されたため、榊田は、この新会社に継続入社する[6]。1935年(昭和10年)12月末、太秦帷子ヶ辻中開町(現在の右京区太秦堀ヶ内町)に、牧野省三の長男であるマキノ正博がトーキーのための新しい撮影所を建設した新会社、マキノトーキー製作所を設立、これに参加する[11]。同社は1937年(昭和12年)4月に解散するが、榊田は前年中に東京に移り、P.C.L.映画製作所に参加、1937年(昭和12年)9月10日に合併して設立された東宝映画に継続入社[6][4]。これを機に従来本名を用いていたが、芸名を「榊田 敬二」とする[6][4]。
第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)8月15日以降も、東宝争議以降も、東宝に所属し、多くの作品に出演を続けた[6]。満62歳を迎えた1962年(昭和37年) - 1965年(昭和40年)の間は、ペースをダウンして休業した[6]。満68歳を迎え、1968年(昭和43年)6月8日に公開された森谷司郎監督の『首』を最後に引退したが[6]、1975年(昭和50年)3月15日に公開された本多猪四郎監督の『メカゴジラの逆襲』まで、端役で出演した。
フィルモグラフィ
編集すべてクレジットは「出演」である[出典 5]。公開日の右側には役名[出典 5]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵などの上映用プリントの現存状況についても記す[11][12]。同センターなどに所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。
初期
編集タカマツ・アズマプロダクション
編集特筆以外はすべて製作・配給はタカマツ・アズマプロダクションである。
- 『男児一諾』 : 監督山本嘉次郎・横田豊秋、製作マキノ・プロダクション東京撮影所、配給マキノ・プロダクション、1926年1月22日公開 - 執事大野
- 『燃ゆる情魂 前篇』 : 監督友成用三、1926年2月19日公開 - 執事
- 『燃ゆる情魂 後篇』 : 監督友成用三、1926年2月26日公開 - 執事
- 『母に誓ひて』 : 監督山本嘉次郎、1926年4月3日公開 - 秋田のベン(乾分)
- 『銅銭会事変』 : 監督横田豊秋、1926年7月1日公開 - 用人
- 『黄門漫遊記』 : 監督高松操、1926年10月3日公開 - 渥美格之進
- 『マツダ映画小品集 「雲」』 : 監督山本嘉次郎、1926年製作・公開 - 泥棒
- 『陽炎の舞』 : 監督友成用三、1927年製作・公開 - 探偵狂
日活大将軍撮影所
編集- 『喧嘩』 : 監督東坊城恭長、1927年11月25日公開 - 洋食屋の勝助
- 『沈み行く人魚』 : 監督畑本秋一、1928年6月8日公開 - 若い紳士
- 『奮戦王』 : 監督浅岡信夫、1928年12月31日公開 - 正木製薬社員
- 『生ける人形』 : 監督内田吐夢、1929年4月19日公開
帝国キネマ演芸
編集すべて製作・配給は帝国キネマ演芸である。すべて「榊田敬治」名義である。
- 『野獣群』 : 監督木村恵吾、1930年9月15日公開[6]
- 『素晴らしい奴』 : 監督高見貞衛、1930年11月20日公開
- 『我が子我が母』 : 監督民門敏雄、1931年4月22日公開[6]
- 『都会病患者』 : 監督木村荘十二、1931年6月3日公開[6]
新興キネマ
編集特筆以外すべて製作・配給は新興キネマである。すべて「榊田敬治」名義である。
- 新興キネマ
- 『最後の審判』 : 監督印南弘、1931年10月4日公開 - 木村訓導
- 『ガラマサどん』 : 監督木村恵吾、1931年11月5日公開 - 松本
- 『噂の女』 : 監督木村恵吾、1931年12月19日公開 - 写真師
- 『姉』 : 監督高見貞衛、1931年12月24日公開 - 佐藤家の使用人
- 『丸の内五人女』 : 監督曾根純三、1931年12月31日公開 - 社会部長
- 『鉄の花環 前篇 暴風を呼ぶもの』 : 監督曾根純三、1932年1月14日公開 - 松雄
- 『鉄の花環 後篇 相寄る魂』 : 監督曾根純三、1932年2月4日公開 - 松雄
- 『満州行進曲』 : 監督川浪良太、1932年3月3日公開 - 志戸一等兵
- 『エンコの六』 : 監督曾根純三、1932年3月24日公開 - イデオロギーの鉄
- 『満州娘』 : 監督渡辺新太郎、1932年6月10日公開 - 相沢静夫
- 『姿なき怪盗 前篇』 : 監督曾根純三、1932年9月22日公開 - 尾形稔
- 『満蒙建国の黎明』 : 監督溝口健二、製作入江プロダクション・中野プロダクション・新興キネマ、配給新興キネマ、1932年9月29日公開 - 李石常
- 『太陽の娘』 : 監督渡辺新太郎、1932年10月6日公開 - 事務員・林
- 『姿なき怪盗 後篇』 : 監督曾根純三、1932年11月17日公開 - 尾形稔
- 『よみがえる暁』 : 監督渡辺新太郎、1932年12月1日公開 - 文士水上
- 『街の青空』 : 監督木村恵吾、1933年2月3日公開 - 尾形の乾分
- 『間貫一』 : 監督木村恵吾、1933年5月11日公開 - 運転手
- 『紙芝居』 : 監督寿々喜多呂九平、1933年5月21日公開 - 武
- 『ゴトク倶楽部』 : 監督上野信二郎、1933年10月8日公開 - 甚太の父
- 『やどり木』 : 監督寿々喜多呂九平、1933年12月27日公開 - 国井彦弥
- 『愛のゴーストップ』 : 監督上野信二郎、1934年2月8日公開 - 風野
- 『心の波止場』 : 監督阿部豊、1934年2月15日公開 - 岩田老人
- 『河の上の太陽』 : 監督内田吐夢、1934年5月17日公開
- 『牧場の兄弟』 : 監督木村恵吾、1934年5月31日公開 - 巡査
- 『男の掟』 : 監督田中重雄、1934年7月14日公開 - お美津の伯父
- 『前科もの二人女』 : 監督石田民三、1934年7月31日公開 - 望月輝太郎
- 『巨人街』 : 監督田中重雄、1934年9月13日公開 - 小林先生
- 『子を持つ処女』 : 監督上野真嗣、1934年11月8日公開 - 周平
- 新興キネマ東京撮影所
- 『春姿娘道中』 : 監督東坊城恭長、製作新興キネマ京都撮影所、配給新興キネマ、1935年1月10日公開 - 赤尾先生
- 『釣鐘草』 : 監督川手二郎、1935年4月3日公開 - 美津子の伯父
- 『ヒュッテの一夜』 : 監督落合吉人・西鉄平、製作新興キネマ京都撮影所、配給新興キネマ、1935年4月11日公開 - 信次の父
- 『女の友情』 : 監督村田実、1935年4月18日公開 - 近藤博士
- 『自活する女』 : 監督青山三郎、1935年5月30日公開 - 商事会社社長・芳原伝蔵
- 『女流探訪記者』 : 監督久松静児、1935年10月3日公開 - 符老人
- 『突破無電』 : 監督村田実、製作高田プロダクション(高田稔)、配給新興キネマ、1935年10月15日公開 - 藤丸船長
マキノトーキー製作所
編集特筆以外すべて製作は「マキノトーキー製作所」、配給は「千鳥興行」である。すべて「榊田敬治」名義である。
- 『無鉄砲選手』 : 監督根岸東一郎、1935年製作・公開 - 巡査部長、15分の部分が現存(NFC所蔵[11])
- 『涯てなき航路』 : 監督田丸重雄、1936年製作・公開
- 『鋪道の囁き』(戦後公開題『思い出の東京』) : 監督鈴木傳明、製作加賀ブラザースプロダクション(加賀四郎)、1936年製作、1946年6月27日公開 - 新聞記者B、84分尺で現存(NFC所蔵[11])
P.C.L.映画製作所
編集すべて製作は「P.C.L.映画製作所」、配給は「東宝映画」である。すべて「榊田敬治」名義である。
- 『兄いもうと』 : 監督木村荘十二、1936年6月21日公開 - 郵便屋、70分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『エノケンのちゃっきり金太 前篇 第一話 まゝよ三度笠の巻 第二話 行きはよいよいの巻』 : 監督山本嘉次郎、1937年7月11日公開
- 『エノケンのちゃっきり金太 後篇 第三話 帰りは怖いの巻 第四話 まてば日和の巻』 : 監督山本嘉次郎、1937年8月1日公開
東宝映画東京撮影所
編集特筆以外すべて製作は「東宝映画東京撮影所」、配給は「東宝映画」である[10]。特筆以外すべて「榊田敬二」名義である[10]。
- 『たそがれの湖』 : 監督伏水修、「榊田敬治」名義、1937年12月21日公開 - 昆虫博士(生物家者)
- 『阿部一族』 : 監督熊谷久虎、製作東宝映画東京撮影所・前進座、配給東宝映画、「榊田敬治」名義、1938年3月1日公開 - 家老、105分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『巨人伝』 : 監督伊丹万作、1938年4月11日公開 - 寺男、127分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『鶴八鶴次郎』 : 監督成瀬巳喜男、「榊田敬治」名義、1938年9月29日公開 - 観客、88分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『鶯』 : 監督豊田四郎、製作東京発声映画製作所、配給東宝映画、「榊田敬治」名義、1938年11月9日公開 - 出札係、71分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『武道千一夜』 : 監督滝沢英輔、1938年12月11日公開 - 書役宇兵衛
- 『浪人吹雪』 : 監督近藤勝彦、1939年1月11日公開[6]
- 『美はしき出発』 : 監督山本薩夫、1939年2月21日公開[6]
- 『娘の願は唯一つ』(『娘の願ひは唯一つ』) : 監督斎藤寅次郎、1939年3月14日公開、36分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『忠臣蔵 前篇』 : 監督滝沢英輔、1939年4月21日公開 - 月岡治左衛門
- 『忠臣蔵 後篇』 : 監督山本嘉次郎、1939年4月21日公開 - 月岡治左衛門
- 『上海陸戦隊』 : 監督熊谷久虎、1939年5月20日公開 - 池田
- 『白蘭の歌 前篇』 : 監督渡辺邦男、1939年11月30日公開 - 移民村団長
- 『白蘭の歌 後篇』 : 監督渡辺邦男、1939年11月30日公開 - 移民村団長
- 『金語楼の親爺三重奏』 : 監督小国英雄、1939年12月13日公開 - 馬子
- 『化粧雪』 : 監督石田民三、1940年2月14日公開 - 守衛、75分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『蛇姫様』 : 監督衣笠貞之助、1940年4月3日公開 - 清兵衛、127分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『釣鐘草』(『乙女シリーズその二 花物語 釣鐘草』) : 監督石田民三、1940年7月2日公開 - 役名不明、36分・53分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『続蛇姫様』 : 監督衣笠貞之助、1940年8月14日公開 - 清兵衛
- 『旅役者』 : 監督成瀬巳喜男、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1940年12月18日公開 - 百姓、70分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『親子鯨』 : 監督斎藤寅次郎、製作東宝映画京都撮影所、京都撮影所、配給東宝映画、1940年12月18日公開 - 小使、75分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『なつかしの顔』 : 監督成瀬巳喜男、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1941年1月22日公開 - 馬方
- 『暁の進発』 : 監督中川信夫、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、1941年1月24日公開 - 北村上等兵
- 『子宝夫婦』 : 監督斎藤寅次郎、1941年2月26日公開 - 職工A
- 『馬』 : 監督山本嘉次郎、製作東宝映画東京撮影所・映画科学研究所、配給東宝映画、1941年3月11日公開 - 組合の事務員
- 『人生は六十一から』 : 監督斎藤寅次郎、製作東宝映画東京撮影所・吉本興業、配給東宝映画、1941年4月22日公開 - 無料宿泊所管理人
- 『白鷺』 : 監督島津保次郎、1941年5月1日公開 - 紳士、99分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『雲月の妹の歌』 : 監督石田民三、1941年5月14日公開 - 小使、85分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『秀子の車掌さん』 : 監督成瀬巳喜男、製作南旺映画、配給東宝映画、1941年9月17日公開 - バス会社の客、51分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『指導物語』 : 監督熊谷久虎、1941年10月4日公開 - 田舎駅の助役、111分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『八十八年目の太陽』 : 監督滝沢英輔、1941年11月15日公開 - 造船部長、101分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『若い先生』 : 監督佐藤武、1942年3月20日公開 - 父親
- 映画配給社配給
- 『水滸伝』 : 監督岡田敬、配給映画配給社、1942年7月2日公開 - 杜遷
- 『母は死なず』 : 監督成瀬巳喜男、配給映画配給社、1942年9月24日公開 - 職業紹介所係員、61分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『ハワイ・マレー沖海戦』 : 監督山本嘉次郎、配給映画配給社、1942年12月3日公開 - 郵便集配人[13](老郵便配達)、116分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『伊那の勘太郎』(改題『伊那節仁義』) : 監督滝沢英輔、配給映画配給社、1943年1月3日公開 - 浪人、67分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『愛の世界 山猫とみの話』 : 監督青柳信雄、配給映画配給社、1943年1月14日公開 - 村人石松
東宝
編集特筆以外すべて製作・配給は東宝である[10]。特筆以外すべて「榊田敬二」名義である[10]。
- 『おスミの持参金』 : 監督滝沢英輔、1947年9月2日公開
- 『女優』 : 監督衣笠貞之助、1947年12月9日公開、115分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『空気の無くなる日』 : 監督伊東寿恵男、製作日本映画社、1947年製作・公開、51分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『また逢う日まで』 : 監督今井正、1950年3月21日公開、110分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『悲歌』 : 監督山本嘉次郎、製作映画芸術協会・東宝、配給東宝、1951年2月22日公開 - 旅篭宿主人
- 『哀愁の夜』 : 監督杉江敏男、1951年11月9日公開 - 楽屋番
- 『慶安秘帖』 : 監督千葉泰樹、1952年1月10日公開 - せむしの老人、106分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『若い人』 : 監督市川崑、1952年7月8日公開 - 下宿の小父さん、70分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『東京の恋人』 : 監督千葉泰樹、1952年7月15日公開、113分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『生きる』 : 監督黒澤明、1952年10月9日公開 - 区画整理課受付職員[注釈 2]
- 『総理大臣の恋文』(ラブレター) : 監督斎藤寅次郎、1953年2月25日公開
- 『安五郎出世』 : 監督滝沢英輔、1953年4月22日公開
- 『愛情について』 : 監督千葉泰樹、1953年5月14日公開 - 爺や
- 『青色革命』 : 監督市川崑、1953年6月10日公開 - 小使、107分尺で現存(NFC所蔵[11])
- 『太平洋の鷲』: 監督本多猪四郎、1953年10月21日公開 - 参謀[要出典][注釈 2]
- 『七人の侍』 : 監督黒澤明、1954年4月26日公開 - 伍作[2]、206分尺で現存(NFC所蔵[12])
- ゴジラシリーズ
- 『ゴジラ』 : 監督本多猪四郎、1954年11月3日公開 - 稲田(大戸島村長)[出典 6]、96分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『ゴジラの逆襲』 : 監督小田基義、1954年4月24日公開 - 大阪防衛隊幹部[14][5]
- 『キングコング対ゴジラ』 : 監督本多猪四郎、1962年8月11日公開 - ファロ島民[2][5]、つがるの乗客[5][注釈 2]
- 『モスラ対ゴジラ』 : 監督本多猪四郎、1964年4月29日公開 - 長老の隣の原住民[1][5]、名古屋の通行人[5][注釈 2]
- 『三大怪獣 地球最大の決戦』 :監督本多猪四郎、1964年12月20日公開 - 記者[5]、上野公園の野次馬[5]、横浜の避難民[注釈 2]
- 『怪獣大戦争』 : 監督本多猪四郎、1965年12月19日公開 - 政府関係者[5][注釈 2]
- 『怪獣総進撃』 : 監督本多猪四郎、1968年8月1日公開 - 国連科学委員会技師[5][注釈 2]
- 『メカゴジラの逆襲』 : 監督本多猪四郎、1975年3月15日公開 - 写真の学者[5][注釈 2]
- 『透明人間』 : 監督小田基義、1954年12月29日公開 - 芝浦倉庫の守衛[15]
- 『泉へのみち』 : 監督筧正典、1955年3月8日公開
- 『33号車応答なし』 : 監督谷口千吉、1955年5月31日公開
- 『むッつり右門捕物帖 鬼面屋敷』 : 監督山本嘉次郎、1955年7月6日公開
- 『獣人雪男』 : 監督本多猪四郎、1955年8月14日公開 - 源さん[要出典]
- 『美しき母』 : 監督熊谷久虎、1955年12月4日公開 - 老爺
- 『若い樹』 : 監督本多猪四郎、1956年1月22日公開
- 『イカサマ紳士録』 : 監督田尻繁、1956年3月6日公開
- 『続イカサマ紳士録 おとぼけ放射能』 : 監督田尻繁、1956年3月13日公開
- 『大暴れチャッチャ娘』 : 監督杉江敏男、1956年5月24日公開
- 『東京の人さようなら』 : 監督本多猪四郎、1956年6月28日公開 - 監視人
- 『鬼火』 : 監督千葉泰樹、1956年7月5日公開、46分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『白夫人の妖恋』:監督豊田四郎、1956年7月5日公開 - 宋の民[要出典][注釈 2]
- 『空の大怪獣 ラドン』 : 監督本多猪四郎、1956年12月26日公開 - 炭坑夫・多平[13][2]、82分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『おしどりの間』 : 監督木村恵吾、製作東京映画、配給東宝、1956年12月19日公開
- 『山と川のある町』 : 監督丸山誠治、1957年2月12日公開
- 『大番』 : 監督千葉泰樹、1957年3月5日公開 - 牛方
- 『夜の鴎』 : 監督佐分利信、1957年8月10日公開 - 木場の同業者
- 『東北の神武たち』 : 監督市川崑、1957年8月27日公開 - 常の父っさん、58分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『どん底』 :監督黒澤明、1957年9月17日公開 - 町人[注釈 2]
- 『青い山脈 新子の巻』 : 監督松林宗恵、1957年10月17日公開 - 百姓
- 『地球防衛軍』 : 監督本多猪四郎、1957年12月28日公開 - 防衛軍幹部[要出典][注釈 2]
- 変身人間シリーズ
- 『大怪獣バラン』 : 監督本多猪四郎、1958年10月14日公開 - トラック運転手[要出典][注釈 2]
- 『裸の大将』 : 監督堀川弘通、1958年10月28日公開 - バスの乗客[注釈 2]
- 『密告者は誰か』 : 監督熊谷久虎、1958年11月18日公開 - るみ子の父親
- 『こだまは呼んでいる』 : 監督本多猪四郎、1959年1月22日公開、86分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『私は貝になりたい』 : 監督堀川弘通、1959年4月12日公開 - 松田老人
- 『孫悟空』 : 監督山本嘉次郎、1959年4月19日公開
- 『サラリーマン出世太閤記 課長一番槍』 :監督筧正典、1959年6月16日公開 - 百姓の男
- 『日本誕生』 :監督稲垣浩、1959年11月01日公開 - 大和国の民[要出典][注釈 2]
- 『宇宙大戦争』 :監督本多猪四郎、1959年12月26日公開 - 会議出席者[要出典][注釈 2]
- 『暗黒街の対決』 :監督岡本喜八、1960年1月03日公開 - 青い猫の客[注釈 2]
- 『女が階段を上る時』 :監督成瀬巳喜男、1960年1月15日公開 - 藤崎の見送り人[注釈 2]
- 『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』 :監督松林宗恵、1960年4月26日公開 - 村人[要出典][注釈 2]
- 『青い夜霧の挑戦状』 : 監督古沢憲吾、1961年3月12日公開 - 徳さん
- 『モスラ』 : 監督本多猪四郎、1961年7月30日公開 - 国立総合核センター所員[出典 7][注釈 2]
- 『アワモリ君売出す』 :監督古澤憲吾、1961年7月30日公開 - 豪農の男
- 『紅の海』 :監督谷口千吉、1961年8月13日公開 - バスの観光客[注釈 2]
- 『新入社員十番勝負』 :監督岩城英二、1961年9月12日公開 - 小使
- 『妖星ゴラス』 : 監督本多猪四郎、1962年3月21日公開 - 政府関係者[要出典][注釈 2]
- 『地方記者』 : 監督丸山誠治、1962年10月13日公開 - 岡田
- 『マタンゴ』 : 監督本多猪四郎、1963年8月11日公開 - クラブの給仕[要出典][注釈 2]
- 『海底軍艦』 :監督本多猪四郎、1963年12月22日公開 - 三原山の登山客[要出典][注釈 2]
- 『乱れる』 : 監督成瀬巳喜男、1964年1月15日公開 - 列車の乗客[注釈 2]
- 『君も出世ができる』 : 監督須川栄三、1964年5月30日公開 - お茶漬け屋の従業員[注釈 2]
- 『天才詐欺師物語 狸の花道』 :監督山本嘉次郎、1964年8月1日公開 - 老人
- 『宇宙大怪獣ドゴラ』 : 監督本多猪四郎、1964年8月11日公開 - 福岡の医師[要出典][注釈 2]
- 『フランケンシュタイン対地底怪獣』 : 監督本多猪四郎、1965年8月8日公開 - 病院事務職員[要出典][注釈 2]
- クレージー映画
- 『100発100中』 : 監督福田純、1965年12月5日公開 - 羽田空港の男[注釈 2]
- 『暴れ豪右衛門』 : 監督稲垣浩、1966年1月15日公開 - 三蔵、100分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『奇巌城の冒険』 :監督谷口千吉、1966年0月28日公開 - ペシルの民[注釈 2]
- 『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』 : 監督本多猪四郎、1966年7月31日公開 - ビアガーデンの客/避難する村人(2役)[要出典][注釈 2]
- 『あこがれ』 : 監督恩地日出夫、1966年10月1日公開 - 老人
- 『お嫁においで』 : 監督本多猪四郎、1966年11月20日公開 - 通行人[注釈 2]
- 『佐々木小次郎』 : 監督稲垣浩、1967年4月1日公開、151分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 『100発100中 黄金の眼』 :監督福田純、1968年3月16日公開 - ベイルートの男[注釈 2]
- 『首』 : 監督森谷司郎、1968年6月8日公開 - 蒼竜寺の住職、100分尺で現存(NFC所蔵[12])
- 東宝8.15シリーズ
- 『蝦夷館の決闘』 (1970年)
- 『人間革命』 : 監督舛田利雄、製作シナノ企画・東宝映像、配給東宝、1973年9月8日公開
- 『日本侠花伝』 : 監督加藤泰、1973年11月17日公開 - 老人
- 『ノストラダムスの大予言』 :監督舛田利雄、配給東宝、1974年8月3日公開 - 討論会の聴衆[要出典][注釈 2]
テレビドラマ
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f 東宝特撮映画全史 1983, p. 530, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
- ^ a b c d e f ゴジラ大百科 1993, p. 120, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
- ^ a b c d e f モスラ映画大全 2011, p. 63, 「脇役俳優辞典21」
- ^ a b c d e f g h i 初代ゴジラ研究読本 2014, p. 110, 「オール初代ゴジラ俳優大図鑑」
- ^ a b c d e f g h i j k l 野村宏平、冬門稔弐「1月15日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、21頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r キネマ旬報社[1979], p.235.
- ^ a b 榊田敬二、日本映画情報システム、文化庁、2012年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e 榊田敬二、KINENOTE、2012年12月12日閲覧。
- ^ a b c 榊田敬二、日活データベース、2012年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g 榊田敬二、映画データベース、東宝、2012年12月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 榊田敬治、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 榊田敬二、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月11日閲覧。
- ^ a b c d 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–538, 「主要特撮作品配役リスト」
- ^ “映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2022年2月26日閲覧。
- ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 9, 「『透明人間』作品解説/俳優名鑑」
出典(リンク)
編集参考文献
編集- 『映画渡世 天の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅裕、平凡社、1977年 / 新装版、2002年 ISBN 4582282016
- 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年
- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。
- 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一、Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。
- 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133
- 洋泉社MOOK 別冊映画秘宝(洋泉社)
- 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2。
- 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2014年8月24日。ISBN 978-4-8003-0452-0。
- 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2。
外部リンク
編集- 東宝映画俳優専属者リスト(PDF) - 東宝