植村家次
日本の戦国時代~安土桃山時代の武将。徳川家家老植村家存の子で、植村出羽守家3代当主
植村 家次(うえむら いえつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。植村家存の子。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永禄10年(1567年) |
死没 | 慶長4年10月11日(1599年11月28日) |
別名 | 通称:新六郎 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 植村氏 |
父母 | 父:植村氏明、母:不詳 |
兄弟 | 家次、石川康通正室 |
子 | 家政、直宗 |
生涯
編集永禄10年(1567年)、徳川氏の家臣・植村家存の子として誕生。
11歳の時に父の家存が死去し、徳川家康の子・松平信康の小姓となるが、罪を受けて信康が切腹すると、流浪の身となる。のちに榊原清政の勧めにより徳川家臣の榊原康政に仕えた。康政の推挙により再び徳川家康に仕え、上野国邑楽郡内に500石を給される。
関連作品
編集- 宮崎仁良『安祥譜代三河植村氏の研究』