森俊韶
森 俊韶(もり としつぐ)は、江戸時代中期の大名。播磨国三日月藩の第4代藩主。官位は従五位下対馬守、河内守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛延3年7月18日(1750年8月19日) |
死没 | 寛政9年2月4日(1797年3月2日) |
改名 | 達五郎、俊韶 |
戒名 | 俊韶院殿勇道日義大居士 |
墓所 | 東京都大田区池上の本行寺 |
官位 | 従五位下対馬守、河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 播磨三日月藩主 |
氏族 | 森氏 |
父母 | 父:森俊春、母:関長広の娘・類 |
兄弟 | 俊韶、瑞明院、長谷川正満正室、林正周養女、曾代 |
妻 | 正室:阿部正敏の娘 |
子 |
長男、次男 養子:快温、曾代 |
略歴
編集第3代藩主・森俊春の長男として乃井野にて誕生。幼名は達五郎。
安永3年(1774年)5月29日、父の隠居で跡を継いだ。長男と次男が早世していたため、寛政5年(1793年)11月10日に妹婿で養嗣子の快温に家督を譲って隠居し、寛政9年(1797年)2月4日に江戸で死去した。享年48。法号は俊韶院殿勇道日義大居士。墓所は東京都大田区池上の本行寺。