松平定仲
日本の江戸時代中期の武士。伊予松山藩4代藩主松平定直長男で、松山藩世嗣(早世)
松平 定仲(まつだいら さだなか)は、江戸時代前期の伊予国松山藩の世嗣。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 貞享4年9月16日(1687年10月21日) |
死没 | 元禄4年5月10日(1691年6月6日) |
改名 | 万之助(幼名)、定仲 |
戒名 | 松岳院殿高山智光円清大童子 |
墓所 | 東京都港区三田の済海寺 |
藩 | 伊予松山藩世嗣 |
氏族 | 久松松平家定勝流 |
父母 | 松平定直、稲葉正往娘・正心院 |
兄弟 | 定仲、鍋之助、定英、定章 |
略歴
編集4代藩主・松平定直の長男として誕生。母は稲葉正往の娘正心院。幼名は万之助。鍋之助、定英、定章の兄。
嫡男だったが、江戸で亡くなった。享年5。江戸済海寺に葬られた。法名は松岳院殿高山智光円清大童子。代わって、その後に生まれた異母弟の定英が定直の世子となった。
参考文献
編集- 松山市史編集委員会編『松山市史料集』第二巻(1987年)