明智 光泰(あけち みつやす、生年不詳 - 天正10年6月14日(1582年7月3日))は、戦国時代の人物。通称は十次郎[1]。
明智光秀の次男として生まれる。『明智軍記』では明智自然と記載されている。天正10年(1582年)6月14日、坂本城落城の際に自刃したとされる[2] [1]。
光泰が筒井順慶の養子・定頼と同一人物であると言う説もある [1]。
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