斉藤俊秀
斉藤 俊秀(さいとう としひで、1973年4月20日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元プロサッカー選手(元日本代表)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダー。
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名前 | ||||||
愛称 | トシ | |||||
カタカナ | サイトウ トシヒデ | |||||
ラテン文字 | SAITO Toshihide | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1973年4月20日(51歳)[1] | |||||
出身地 | 静岡県清水市(現:静岡県静岡市)[1] | |||||
身長 | 182cm[1] | |||||
体重 | 75kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1989-1991 | 清水東高校 | |||||
1992-1995 | 早稲田大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-2008 | 清水エスパルス | 244 | (16) | |||
2007-2008 | → 湘南ベルマーレ (loan) | 84 | (4) | |||
2009-2013 | 藤枝MYFC | 57 | (6) | |||
通算 | 385 | (26) | ||||
代表歴2 | ||||||
1996-1999[2] | 日本 | 17 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月31日現在。 2. 1999年7月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1998 FIFAワールドカップメンバー。
来歴
編集清水東高校時代は主将。1991年の全国高校総体では、決勝に進出。史上初の同県同士の対戦となった東海大一との決勝は、延長で下し、全国制覇を達成。地元清水の日本平で、清水勢同士の学校が日本一を争った決勝は伝説となっている。 早稲田大学時代の1995年にはユニバーシアード日本代表の主将としてユニバーシアード福岡大会に優勝[3]。1996年に清水エスパルスに加入。この年のナビスコカップではニューヒーロー賞を受賞する活躍を見せ、優勝に貢献[4]。シーズン終了後には新人王を受賞した[4]。
日本代表には1996年8月25日の国際親善試合ウルグアイ代表戦でデビュー[2]。1996年から1999年までのあいだに通算17試合に出場した[2]。対人の強さよりも、読みとカバーリングに長けていたため、井原の次世代後継者として期待されたが、トルシエ体制では井原とほぼ同時期に代表に召集されなくなった。試合出場はなかったが、1998 FIFAワールドカップ日本代表のメンバーでもあった。
2007年からの2シーズンは湘南ベルマーレに期限付き移籍してプレーしていた[3]。2008年シーズン終了後に清水からフロント入りを打診されたが、それを固辞して当時静岡県リーグ1部の藤枝MYFCに移籍した[5]。藤枝MYFCでは選手兼監督を務めるほか、運営会社である株式会社Jプレイヤーズの役員も務めた。またスカパー!のサッカー中継(主に清水ホームゲーム)で解説を務めたこともある。
2012年、JFA公認S級ライセンスを取得。
2013年シーズン終了後、現役を引退すると共に藤枝MYFCの監督を退任、着用していた背番号2は永久欠番となった[6](後に7期を経て再び使用されるようになった[7])。
2014年1月、清水の「エスパルス アンバサダー」に就任した[1]。
2014年12月25日、2015年に始動するU-15サッカー日本代表のコーチに就任することが発表された[8]。
2018年4月23日、U-21サッカー日本代表のコーチとして入閣することが発表された[9]。
2019年、サッカー日本代表のコーチに就任した。
所属クラブ
編集個人成績
編集藤枝での成績[10]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 早大 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
1996 | 清水 | - | J | 29 | 2 | 16 | 0 | 3 | 0 | 48 | 2 |
1997 | 2 | 22 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 25 | 2 | ||
1998 | 33 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 39 | 0 | |||
1999 | J1 | 28 | 3 | 4 | 0 | 3 | 0 | 35 | 3 | ||
2000 | 28 | 3 | 6 | 0 | 5 | 0 | 39 | 3 | |||
2001 | 20 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 22 | 1 | |||
2002 | 20 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 23 | 1 | |||
2003 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
2004 | 26 | 3 | 6 | 0 | 1 | 0 | 33 | 3 | |||
2005 | 28 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 35 | 1 | |||
2006 | 8 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | |||
2007 | 湘南 | J2 | 46 | 4 | - | 2 | 0 | 48 | 4 | ||
2008 | 38 | 0 | - | 1 | 0 | 39 | 0 | ||||
2009 | 藤枝 | 静岡県1部 | 11 | 3 | - | - | 11 | 3 | |||
2010 | 東海1部 | 15 | 2 | - | - | 15 | 2 | ||||
2011 | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | |||||
2012 | JFL | 11 | 0 | - | - | 11 | 0 | ||||
2013 | 15 | 1 | - | 1 | 0 | 16 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 244 | 16 | 46 | 1 | 24 | 0 | 314 | 17 | |
日本 | J2 | 84 | 4 | - | 3 | 0 | 87 | 4 | |||
日本 | JFL | 26 | 1 | - | 1 | 0 | 27 | 1 | |||
日本 | 東海1部 | 20 | 2 | - | 0 | 0 | 20 | 2 | |||
日本 | 静岡県1部 | 11 | 3 | - | 0 | 0 | 11 | 3 | |||
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
総通算 | 385 | 26 | 46 | 1 | 30 | 0 | 461 | 27 |
その他の公式戦
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2002-03 | 清水 | 2 | 2 | 1 |
通算 | AFC | 2 | 1 |
タイトル
編集- 1996年 - ナビスコカップ・ニューヒーロー賞、新人王
- 1999年 - ベストイレブン
代表歴
編集出場大会など
編集- ユニバーシアード日本代表
- 日本代表
試合数
編集- 国際Aマッチ 17試合 0得点 (1996年 - 1999年)[2]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1996 | 2 | 0 |
1997 | 7 | 0 |
1998 | 4 | 0 |
1999 | 4 | 0 |
通算 | 17 | 0 |
出場
編集No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1996年08月25日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ウルグアイ | ○5-3 | 加茂周 | 国際親善試合 |
2. | 1996年10月13日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | チュニジア | ○1-0 | プーマカップ | |
3. | 1997年05月21日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | △1-1 | ワールドカップ記念試合 | |
4. | 1997年06月08日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | クロアチア | ○4-3 | キリンカップ | |
5. | 1997年06月15日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | トルコ | ○1-0 | キリンカップ | |
6. | 1997年06月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | オマーン | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
7. | 1997年08月13日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ブラジル | ●0-3 | 国際親善試合 | |
8. | 1997年10月11日 | タシケント | ウズベキスタン | △1-1 | 岡田武史 | ワールドカップ予選 | |
9. | 1997年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アラブ首長国連邦 | △1-1 | ワールドカップ予選 | |
10. | 1998年05月17日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | パラグアイ | △1-1 | キリンカップ | |
11. | 1998年05月24日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | チェコ | △0-0 | キリンカップ | |
12. | 1998年06月03日 | ローザンヌ | ユーゴスラビア | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
13. | 1998年10月28日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | エジプト | ○1-0 | フィリップ・トルシエ | キリンチャレンジ |
14. | 1999年03月31日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ブラジル | ●0-2 | キリンビバレッジ | |
15. | 1999年06月03日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ベルギー | △0-0 | キリンカップ | |
16. | 1999年06月06日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ペルー | △0-0 | キリンカップ | |
17. | 1999年07月02日 | アスンシオン | パラグアイ | ●0-4 | コパ・アメリカ |
指導歴
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j “「エスパルス アンバサダー」就任のお知らせ”. 清水エスパルス (2014年1月31日). 2014年3月24日閲覧。
- ^ a b c d “斉藤 俊秀”. サッカー日本代表データベース
- ^ a b “齊藤俊秀選手 藤枝MYFC(静岡県社会人1部リーグ)へ完全移籍のお知らせ”. J's GOAL (2009年3月2日). 2010年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年4月19日閲覧。
- ^ a b “クラブ沿革”. 清水エスパルス. 2013年9月21日閲覧。
- ^ “斉藤、藤枝MYFCへ”. 静岡新聞 (2009年3月1日). 2009年4月19日閲覧。
- ^ “齊藤俊秀監督兼選手 現役引退及び退団のお知らせ”. 藤枝MYFC. 2013年11月28日閲覧。
- ^ “永久欠番としていた「背番号2番」について”. 藤枝MYFC. 2020年3月7日閲覧。
- ^ U-15日本代表コーチに齊藤俊秀氏が就任 JFA.jp 2014年12月25日付。
- ^ U―21代表監督代行に横内コーチ、トゥーロン国際指揮 斉藤俊秀氏入閣 Sponichi Annex 2018年4月23日付。
- ^ 齊藤俊秀監督兼選手 現役引退及び退団のお知らせ
関連項目
編集外部リンク
編集- 斉藤俊秀 - National-Football-Teams.com
- 斉藤俊秀 - Soccerway.com
- 斉藤俊秀 - FootballDatabase.eu
- 斉藤俊秀 - WorldFootball.net
- 斉藤俊秀 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 斉藤俊秀 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 斉藤俊秀 - FIFA主催大会成績
- 斉藤俊秀 - J.League Data Siteによる選手データ
- ナショナルコーチングスタッフ|日本代表|JFA |日本サッカー協会
- TOSHIHIDE SAITO - 公式ブログ