廃帝 (陳)
廃帝(はいてい)は、南朝陳の第3代皇帝。姓は陳、諱は伯宗。文帝の長男。
廃帝 陳伯宗 | |
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陳 | |
第3代皇帝 | |
王朝 | 陳 |
在位期間 |
天康元年4月27日 - 光大2年11月23日 (566年5月31日 - 568年12月27日) |
都城 | 建康 |
姓・諱 | 陳伯宗 |
字 | 奉業 |
小字 | 薬王 |
生年 |
承聖3年5月5日 (554年6月20日) |
没年 |
太建2年4月2日 (570年4月22日) |
父 | 文帝 |
母 | 沈皇后 |
后妃 | 王皇后 |
年号 |
天康 : 566年 光大 : 567年 - 568年 |
生涯
編集永定2年(558年)2月に臨川王世子に立てられた。永定3年(559年)6月に文帝が即位すると、8月(一説に9月)に皇太子に立てられた。侯景の乱のときに建康の東宮は焼尽していたため、永福省に居住した。
天康元年(566年)4月に文帝が崩御すると、太極前殿で帝位についた。13歳の若年で即位したため、文帝の遺言で叔父の安成王陳頊(後の宣帝)が後見することになった。このため、陳伯宗自身には何ら実権がなく、陳頊の傀儡同然であった。光大2年(568年)11月、陳頊によって廃位され臨海王とされた。太建2年(570年)4月に殺害された。ただし、后と子の命は助けられている。
妻子
編集后妃
編集- 皇后王少姫
男子
編集- 臨海嗣王 陳至沢
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