千束
千束(せんぞく)は、東京都台東区の地名。現行行政地名は千束一丁目から千束四丁目まで。郵便番号は111-0031[2]。
千束 | |
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千束四丁目 | |
北緯35度43分24.77秒 東経139度47分45.23秒 / 北緯35.7235472度 東経139.7958972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 台東区 |
地域 | 下谷地域 |
人口 | |
• 合計 | 11,193人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
111-0031[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
地理
編集台東区の北東部に位置する。町域の東部は土手通りに接しこれを境に東浅草・日本堤にそれぞれ接する。南東部は浅草に接する。南部は西浅草に接する。西部は入谷に接する。北部は、竜泉に接する。概ね、商業地と住宅地とが混在している。
歴史
編集古代より、千束池・姫ヶ池がこの地に広がっていた。
中世には、浅草天王町(現在の浅草橋三丁目付近)あたりから千住大橋あたりの広い範囲を千束郷と称した。千束の名は、千僧供料あるいは千束分の稲田を寺領にしたことに由来するという[4]。近世には千束村となった。
明暦の大火の後、幕府の命で吉原が人形町通り東側の辺り(現在の日本橋人形町二・三丁目、日本橋富沢町の一部)から地名ごと浅草寺裏の日本堤付近、千束田んぼの真ん中(現在の千束三丁目・四丁目の一部)に移転させられた。以後、この地を吉原、若しくは元有った人形町付近を元吉原、対する様に新吉原と呼ぶ様になった[5][6]。
1889年(明治22年)、東京市の成立とともに千束村は浅草区(千束町など)、下谷区、北豊島郡南千住町(大字千束)に編入された。
浅草区当時の千束町は、現在の千束一丁目から三丁目(吉原遊郭地内を除く)に、浅草二丁目から五丁目の一部(西側)を加えた範囲に相当する。
千束小学校は現在の浅草四丁目24-11に所在する。また、千束小学校の東方にある南北方向の道路(言問通りに面するひさご通りのアーケードの先から土手通りの地方橋交差点まで)を千束通りと呼んでいる。このあたりもかつては千束町であった。
明治時代に建てられた浅草十二階は浅草区千束町二丁目で、その周辺は銘酒屋街(十二階下)となり、東京最大の私娼窟として有名であった。十二階と銘酒屋街はともに関東大震災で壊滅した。
台東区の成立後は浅草千束町となった。戦前戦中から様々な事情で多くの朝鮮人が千束および周辺地域に移住してきた。戦後もそのまま定住し朝鮮マーケットもでき賑わいをみせた。しかし1951年3月21日に朝鮮マーケット付近において、6名の米兵が多数の朝鮮人に取囲まれて、集団的に暴力を加えられ、1名は死亡し、2名は負傷する事件(浅草米兵暴行事件)が起きた[7]。1965年8月1日実施の住居表示制度後は、朝鮮マーケットの所在地は浅草二丁目となった。
かつての吉原遊郭が、1965年8月の住居表示実施後に千束三丁目・四丁目となり、行政地名から吉原の名はなくなった。吉原遊郭は第二次世界大戦後の赤線地帯を経て、売春防止法施行後はその名残として千束四丁目付近のソープランド街として残り、その規模・店舗数は日本一である。
2012年、東京都は千束四丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きやスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[8]。 さらに2019年には千束三丁目および四丁目を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定[9]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[10]。
世帯数と人口
編集2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
千束一丁目 | 1,208世帯 | 1,992人 |
千束二丁目 | 1,262世帯 | 2,094人 |
千束三丁目 | 2,572世帯 | 3,873人 |
千束四丁目 | 2,165世帯 | 3,234人 |
計 | 7,207世帯 | 11,193人 |
小・中学校の学区
編集区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
千束一丁目 | 全域 | 台東区立金竜小学校 | 台東区立柏葉中学校 |
千束二丁目 | 1〜32番 33番1〜3号 34番1〜3号、10号 35番1〜3号 36番1〜3号 | ||
その他 | 台東区立金曽木小学校 | ||
千束三丁目 | 全域 | 台東区立千束小学校 | |
千束四丁目 | 11番1〜14号 11番23〜33号 12〜33番 40〜49番 | ||
その他 | 台東区立東浅草小学校 | 台東区立桜橋中学校 |
交通
編集鉄道
編集町域内に鉄道路線はない。最寄り駅は以下の通り。
バス
編集- 都バス都08千束
- 台東区循環バスめぐりん「北めぐりん」
- (28)千束二丁目
- (29)千束三丁目
- (30)台東病院
- (31)千束小学校前
なお、めぐりんは酉の市の期間中は交通規制により台東病院停留所を迂回する。
道路
編集- 東京都道319号環状三号線(言問通り)
- 東京都道462号蔵前三ノ輪線(国際通り)
千束を舞台・背景とした作品
編集小説
編集- 『たけくらべ』(樋口一葉) - 竜泉(下谷区竜泉寺町)・千束付近が舞台。鷲神社の酉の市の描写がある。
- 『痴人の愛』(谷崎潤一郎) - 登場人物ナオミは「浅草の千束町」の出身、実家は銘酒屋で、カフェー勤めをしていたという設定である。
- 小説版『マクロスフロンティア』(小太刀右京) - 主人公の早乙女アルトの住む安アパートが宇宙移民船団マクロスフロンティアの千束エリアにある。
記録
編集漫画・アニメ
編集- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治)- 本作の主人公両津勘吉が同町の生まれで実家も同町で佃煮屋を営んでいるという設定。
- さくらん(安野モヨコ)
- ソープランドでボーイをしていました(原作:玉井次郎、作画:久遠まこと)
映画
編集落語
編集施設
編集- 台東区立吉原公園
- 台東区立金竜小学校
- 台東区千束保健福祉センター
- NTT吉原
- 東京都台東区立台東病院
観光
編集名所・旧跡
編集- 吉原神社 - 浅草七福神の一つ。かつて吉原遊郭内にあった5つの稲荷神社を明治初めに合祀し、吉原神社とした。芸能の神様として崇敬されている。
- 吉原弁財天 - 関東大震災の時、火災から逃れるために吉原の遊女がこの近くにあった弁天池に身を投げて、多数の死者が出た(弁天池はその後埋め立てられ、NTT吉原となった)。今でも地元の人々が清掃など維持管理している。現在は吉原神社の飛び地。
- 見返り柳 - 古典落語で吉原の小咄をする時に登場する。跡地に石碑が建つ。その近くにある柳は昭和になってから植えられた物。
- 吉原大門 - 交差点の名前として残っている。
- 鷲神社 - 酉の市
- 長国寺 - 酉の市
- 浄閑寺(荒川区南千住)
-
見返り柳
関係者
編集- 出身者
- 居住その他ゆかりある人物
脚注
編集- ^ a b “町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
- ^ 朝日新聞社会部『東京地名考 上』(朝日文庫、1986)p158。
- ^ “中央区民文化財17 末廣神社所蔵文書(すえひろじんじゃしょぞうもんじょ)”. 中央区. 2023年4月12日閲覧。
- ^ “御由緒・境内案内”. 末廣神社 東京都中央区日本橋人形町二丁目25番20号. 2023年4月12日閲覧。
- ^ “第010回国会 法務委員会 第12号”. 衆議院. 国立国会図書館 (1951年3月22日). 2010年3月21日閲覧。
- ^ “客引き等の相手方となるべき者を待つ行為を規制する区域の指定について”. 警視庁ホームページ (2016年3月11日). 2022年8月30日閲覧。
- ^ “暴力団排除特別強化地域”. 警視庁 (2019年). 2022年8月30日閲覧。
- ^ “東京都暴力団排除条例”. 東京都ホームページ (2019年). 2022年8月30日閲覧。
- ^ “区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。