勝重久
戦国時代後期の武将
勝 重久(すぐろ しげひさ)[注釈 2]は、戦国時代後期の武将。徳川家康の家臣。
時代 | 戦国時代後期 - 安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 天文5年(1536年)[注釈 1][1] |
死没 | 慶長13年(1608年)[1] |
別名 | 与一郎、安右衛門[1] |
戒名 | 栄喜[1] |
主君 | 松平広忠、徳川家康 |
氏族 | 本多氏支族勝氏?[2][1] |
父母 | 父:勝重信[2][1][3] |
子 | 重昌、深津正吉の妻[4] |
略歴
編集勝氏は代々三河国の国人・松平氏に仕えた一族で、重臣を多く輩出した本多氏とは同族にあたるとされている[注釈 2]。重久は松平広忠・徳川家康の二代に仕えた。永禄7年(1564年)上野城攻めの際に先陣を務め、矢傷を負いながらも活躍した。その後もしばしば戦功があり、元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いでは家康の騎馬の轡を取り、また敵将との一騎討ちを制してこれを捕らえ、分捕った吉房の刀を家康に献上。褒賞として永楽銭10貫文を賜った。その後は本多重次の麾下に附属した[4][3]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年。ISBN 978-4-04-030200-3。
- 『寛政重修諸家譜』 17巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0221-5。
- 『寛永諸家系図伝』斎木一馬; 林亮勝; 橋本政宣(校訂)、八木書店、2014年。ISBN 978-4-8406-3595-0。