前田利孝
日本の安土桃山時代~江戸時代前期の大名。加賀前田宗家初代当主前田利家五男で、上野七日市藩初代藩主。従五位下大和守
前田 利孝(まえだ としたか)は、上野七日市藩の初代藩主。七日市前田家の祖。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 文禄3年(1594年) |
死没 | 寛永14年6月4日(1637年7月25日) |
戒名 | 眞翁宗智大居士 |
墓所 | 吉祥寺 |
官位 | 従五位下大和守 |
主君 | 徳川家康→秀忠→家光 |
藩 | 上野国七日市藩主 |
氏族 | 菅原姓前田氏 |
父母 | 父:前田利家、母:明運院(お幸和) |
兄弟 | 幸(前田長種室)、利長、蕭(中川光重室)、加賀殿(豊臣秀吉側室、万里小路充房室)、豪(秀吉の猶子、宇喜多秀家室)、与免[注釈 1]、利政、菊[注釈 2]、千世(細川忠隆室のち離縁。村井長次室)、福(長好連室、のち中川光忠室)、知好、利常、利孝、保智(篠原貞秀室)、利貞、女[注釈 3] |
妻 | 正室:本多康俊の娘 |
子 | 利意(長男)、孝矩(次男、旗本の苗木山前田家祖)、寄孝(三男、利世、加賀藩士となる前田監物家祖)、娘(浅野長賢正室) |
経歴
編集前田利家の五男。父・利家の死後、兄の利長が、徳川家康と本多正信の画策した「家康暗殺計画」の疑惑をかけられたため、その弁明の証として利長の生母・芳春院(まつ)と共に人質として江戸に送られて幼年期を過ごした。大坂の陣では徳川方として参戦して武功を挙げたことから、元和2年(1616年)12月26日、七日市に1万石の所領を与えられた。
寛永14年(1637年)6月4日に死去し、跡を子の利意が継いだ。享年44。利孝の七日市藩領は、加賀の前田本家が参勤交代する際の中継地として、以後重要な役割を果たすこととなる。
系譜
編集父母
- 前田利家(父)
- 明運院、お幸和 ー 山本氏、側室(母)
正室
- 本多康俊の娘
子女