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内閣顧問(ないかく こもん)は、内閣総理大臣の諮問機関。以下の3種がある。

  1. 内閣顧問 - 明治初期の太政官 (明治時代)に置かれた官職
  2. 内閣顧問 - 昭和太平洋戦争時に内閣に置かれた官職
  3. 内閣特別顧問 - 平成になって内閣官房に置かれた官職

明治の内閣顧問

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太政官に設置された、機密事項に参与する非常設の官職。内閣制度が導入される前の太政官制時期の職で、ここでいう「内閣」とは、太政大臣左大臣右大臣参議の合議体のことを指した。

実態は、政府中枢と対立した重要人物を野に下らせないよう、一時的に宛てがった官職でもあった。

昭和の内閣顧問

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1943年(昭和18年)3月17日東條内閣において内閣顧問臨時設置制(昭和18年勅令第134号)が制定され、「大東亜戦争に際し重要軍事物資の生産拡充その他戦時経済の運営に関する内閣総理大臣の政務施行の枢機に参せしむる」(現代式表記)ため、1937年に設置された内閣参議を廃止して内閣顧問が親任官として置かれた。同年10月18日鈴木忠治鈴木貞一藤原銀次郎結城豊太郎山下亀三郎財界を中心に7名が任命された。

1944年(昭和19年)10月27日小磯内閣で改めて内閣顧問臨時設置制(昭和19年勅令第604号)が制定され、その定義も「大東亜戦争に際し内閣総理大臣の国政運営の枢機に参せしむる」(現代式表記)ためのものと改められた(「重要軍事物資の生産と戦時経済運営に関し」の文言が削除)。施行日の翌28日、有田八郎小泉信三正力松太郎小泉又次郎ら各界から12名が任命された。

1945年(昭和20年)4月26日鈴木貫太郎内閣は来るべき本土決戦準備の推進のために、浅野良三藤山愛一郎千石興太郎岩田宙造ら各界から10名を任命した。

しかし終戦直後に発足した東久邇宮内閣以後は内閣顧問が置かれず、第1次吉田内閣当時の1947年(昭和22年)5月3日に内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)が制定されたことにより廃止された。

平成・令和の内閣特別顧問

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内閣官房に置かれ、内閣総理大臣の諮問に応じて、助言などを行う。内閣官房参与より上に位置し、通常1人。

関連項目

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 内閣辞令及び内閣総理大臣辞令』(PDF)(プレスリリース)内閣官房、2021年7月7日https://www.kantei.go.jp/jp/content/000085263.pdf2022年1月6日閲覧