允常
允常 | |
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越 | |
侯 | |
王朝 | 越 |
在位期間 | ? - 前496年 |
都城 | 会稽 |
生年 | 不詳 |
没年 | 前496年 |
父 | 夫譚 |
允常は越侯夫譚の子として生まれた。領土を拡大し、王と称した。『春秋』では子爵とされ、「於越」と号している[1]。越侯允常は民の男女に山に入らせて葛を採らせ、黄絲布を作って呉王に献上した[2]。
呉との抗争
編集紀元前505年、呉王闔閭が楚に侵攻している隙に、越の允常は呉に侵攻した[4]。
紀元前496年、允常は死去した。太子の勾践が父の後を嗣いで越王として即位した。允常の喪中の隙を狙って、呉王闔閭は越に攻め寄せた(欈李の戦い)[5]。
脚注
編集参考文献
編集- 『史記』越王句践世家