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丹羽 高庸(にわ たかやす)は、江戸時代中期の大名。通称は百介、五郎左衛門。陸奥国二本松藩の第6代藩主官位従四位下若狭守。丹羽家第7代。

 
丹羽高庸
丹羽高庸
時代 江戸時代中期
生誕 享保15年2月9日1730年3月27日
死没 明和2年12月14日1766年1月24日
別名 百介、五郎左衛門(通称)
戒名 大洞院殿柏庭宗樹大居士
墓所 福島県二本松市の大隣寺
官位 従五位下若狭守従四位下
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
陸奥二本松藩
氏族 丹羽氏
父母 丹羽高寛:久保氏
兄弟 高庸生駒親信津田正安安藤定慶阿部正右正室、稲葉正益継室、西尾忠雅正室、丹羽長裕室、小浜致隆正室、菅谷政常正室
正室徳川宗直の8女・達姫
側室:宮沢氏
長貴長恒中川久徳正室、利恵姫、喜姫、太田資順正室、本多助受正室
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略歴

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第5代主・丹羽高寛の長男として誕生。母は久保氏。生年は享保13年(1728年)とも。

寛保元年(1741年)4月13日、8代将軍・徳川吉宗にお目見えする。同年12月25日、従五位下若狭守に叙任する。延享2年(1745年)5月9日、父・高寛の隠居により、跡を継ぐ。延享4年(1747年)に幕府より木曽川長良川揖斐川の3河川治水工事の御手伝普請を命じられた(宝暦治水事件)。寛延3年(1750年)12月18日、従四位下に昇進する。明和2年(1765年)、父・高寛に先立って死去し、長男・長貴が跡を継いだ。戒名は大洞院殿柏庭宗樹大居士。墓所は福島県二本松市の大隣寺。

系譜

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父母

正室

側室

  • マツ
  • ゲン
  • 宮沢氏
  • 里江

子女

  • 丹羽長貴(長男)生母は宮沢氏(側室)
  • 丹羽長恒(次男)生母は宮沢氏(側室)
  • 中川久徳正室、生母はマツ(側室)
  • 利恵姫 ー 松平直泰正室、生母はゲン(側室)
  • 喜姫、清心院 ー 松平直泰継室後に間部詮茂継室、生母は宮沢氏(側室)
  • 幹 ー 太田資順正室、生母は宮沢氏(側室)
  • 満(五女) ー 本多助受正室、生母は里江(側室)