中根幹夫
経歴
編集東京都大田区出身[2]。1965年に日本大学卒業後、山形放送へ入社した。1967年11月に日本短波放送(現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社した[2]。白川次郎は大学の3年後輩にあたる。1968年に長岡一也と入れ替わりで大阪支社へ異動したが、1974年3月をもって同じく白川と入れ替わりに東京本社へ復帰した[3]。アナウンサーとして主に中央競馬実況中継を担当し、シンボリルドルフの有馬記念やタマモクロスの天皇賞(秋)など数々のGIレースを実況した。競馬マスコミに携わる傍らで、プロ野球・サッカー・モータースポーツ・競艇などの実況を担当した。1989年夏で競馬実況から退いた後は、経済・教育番組のキャスター・オリンピック取材・スポーツ・社会情報・音楽番組プロデューサーも務めた。退社後には「赤坂アナウンス塾」や「お台場ボイストレーニング倶楽部」を立ち上げ、ボランティア講師を務め、多くのアナウンサー・キャスター・レポーターを育成した。現在は「エポック ボイストレーニング教室」代表でもあり、神奈川保険センター・カルチャー・生涯教育センターの講師を務める。
出演していた番組
編集主な実況歴
編集- GIレース(判明分)
- 皐月賞(1977年、1980年、1983年 - 1987年)
- 天皇賞 (春)(1972年)
- 安田記念(1985年、1987年)
- 優駿牝馬(1975年、1978年、1979年、1981年、1982年)[4]
- 日本ダービー(1988年、1989年)
- 天皇賞 (秋)(1988年)
- ジャパンカップ(1983年、1987年、1988年)
- 朝日杯3歳ステークス(1988年)
- 有馬記念(1981年、1984年 - 1987年)
- その他
- 東京新聞杯(1986年)
- 東京4歳ステークス→共同通信杯4歳ステークス(1975年、1986年、1989年)
- ダイヤモンドステークス(1987年)
- 弥生賞(1988年、1989年)
- スプリングステークス(1986年)
- 日経賞(1986年)
- 4歳牝馬特別 (東)(1976年)
- 新潟大賞典(1986年)
- エプソムカップ(1986年)
- 七夕賞(1984年、1986年)
- 関屋記念(1986年、1988年)
- 函館記念(1987年)
- 札幌記念(1985年)
- 新潟3歳ステークス(1981年、1985年)
- 札幌3歳ステークス(1984年)
- 新潟記念(1984年、1987年)
- 京王杯オータムハンデキャップ(1981年)
- オールカマー(1986年)
- ハリウッドターフクラブ賞(1973年)
- テレビ東京賞3歳牝馬ステークス(1984年、1985年)
参考文献
編集- あと100っ!(ラジオNIKKEI、2002年12月2日)