ドロンガ
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ドロンガ(満洲語: ᡩᠣᠷᠣᠩᡤᠠ 転写:dorongga、多隆阿、1817年 - 1864年)は、清朝の軍人。字は礼堂。満洲正白旗人。フルラト氏(hurlat hala、呼爾拉特氏)。チチハル出身。その勇猛ぶりは「北多南超」(鮑超)として知られた。
1853年、内閣学士勝保(シェンバオ)に従い太平天国の北伐軍に大勝している。1857年には湖広総督官文(グワンウェン)・湖南巡撫胡林翼に従いドゥヒンガ[1]とともに武漢・黄州・黄梅を奪還し、湖北省を平定した。その後陝西将軍に任じられ回民蜂起を鎮圧、1864年3月からは太平天国軍と連合した藍朝柱の蜂起軍と西安西方100kmの盩厔で会戦した。この戦いはドロンガ側の勝利となったが、ドロンガ自身は流れ弾より負傷、その傷が原因となり5月18日に死亡した。