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広島晃甫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

広島 晃甫(ひろしま こうほ、本名:広島新太郎、1889年明治22年)11月23日 - 1951年昭和26年)12月16日)は、徳島県徳島市出身の日本画家。香川県立工芸学校(現香川県立高松工芸高等学校)、東京美術学校日本画科(現東京藝術大学)卒業。

生涯

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徳島県徳島市に生まれる。1907年明治40年)に香川県立工芸学校を卒業。1909年(明治42年)に白馬会洋画研究所に入り、後に画家の萬鉄五郎らとアブサント会を興す。1912年(明治45年)に東京美術学校日本画科を卒業。その後、長谷川潔永瀬義郎と共に日本版画倶楽部を結成。

第1回帝展、第2回帝展で特選になり名が知られるようになる。帝展審査員、新文展審査員などを歴任した。

主な作品

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国立美術館
徳島県立近代美術館

作品のすべては、著作権の保護期間が死後50年だった時代に満了を迎え、パブリックドメインとなっている。

登場する作品

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矢口が銀行員だった青春時代を回想する自伝作品。秋田県内での矢口が下宿していた家に作品があり、さらにその家の「本家」には戦時中晃甫が滞在、物資不足の中で近くの梅の木の絵を襖絵「紅梅白梅之図」として残した…というエピソードが漫画として描かれている。襖絵は習作で、完成品は国立美術館蔵である、とも記述されている。


関連項目

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