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小川貫爾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小川 貫爾おがわ かんじ
生誕 1893年9月10日
日本の旗 日本広島県広島市中区
死没 (1973-01-23) 1973年1月23日(79歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1915年 - 1946年
最終階級 海軍少将
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小川 貫爾(おがわ かんじ、1893年明治26年)9月10日 - 1973年昭和48年)1月23日)は、日本海軍軍人。最終階級海軍少将広島県広島市中区出身。

略歴

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旧制広島県立第一中学校より、海軍兵学校および陸軍士官学校第27期)を受験し、双方に合格している。海軍兵学校第43期入校。入校時成績順位は100名中第4位、卒業時成績順位は96名中第9位。

元来は武田姓だったが小川家に養子に入り姓が変る。海軍省教育局所属時に柳澤正樹皇道論についての本を著すよう慫慂し助言や資料を与えた[1]。戦後は宇垣纏中将の日記『戦藻録』改訂版の編纂に携わった事で知られる。

年譜

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参考文献

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 『皇道』川流堂、1934年、3頁。 
  2. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、61頁。NDLJP:1276156