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井関農機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井関農機株式会社
ISEKI & CO., LTD.
井関農機本社事務所
種類 株式会社
市場情報
東証プライム 6310
1961年6月26日上場
略称 ヰセキ
本社所在地 日本の旗 日本
116-8541
東京都荒川区西日暮里五丁目3番14号
本店所在地 799-2692
愛媛県松山市馬木町700番地[1](株式会社ISEKI M&D松山内)
設立 1936年昭和11年)4月6日
業種 機械
法人番号 2500001000533 ウィキデータを編集
事業内容 農業機械の製造販売 等
代表者 冨安司郎(代表取締役社長執行役員
小田切元代表取締役専務執行役員
資本金 233億4400万円
(2023年12月31日現在)[2]
発行済株式総数 2298万4993株
(2023年12月31日現在)[2]
売上高 連結:1,699億1,600万円
単独:970億7,100万円
(2023年12月期)[2]
営業利益 連結:22億5,300万円
単独:△8億2,300万円
(2023年12月期)[2]
経常利益 連結:20億9,200万円
単独:11億7,400万円
(2023年12月期)[2]
純利益 連結:2,900万円
単独:9億3,700万円
(2023年12月期)[2]
純資産 連結:742億1,500万円
単独:484億1,900万円
(2023年12月31日現在)[2]
総資産 連結:2,171億200万円
単独:1,306億4,200万円
(2023年12月31日現在)[2]
従業員数 連結:5,457名
単独:774名
(2023年12月31日現在)[2]
決算期 12月31日
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人[2]
主要株主 みずほ銀行 4.68%
農林中央金庫 3.79%
三井住友信託銀行 3.49%
(2023年12月31日現在)[2]
主要子会社 株式会社ISEKI M&D 100%
株式会社井関新潟製造所 100%
関係する人物 井関邦三郎(創業者)
外部リンク https://www.iseki.co.jp/
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井関農機株式会社(いせきのうき、: ISEKI & CO., LTD.)は、トラクター田植機コンバインなどの農業機械を製造する日本株式会社である。製品のブランドは「ヰセキ(ゐせき)[注釈 1]東京証券取引所プライム上場

概要

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国内で同業他社のクボタヤンマーアグリ(旧・ヤンマー〈現・ヤンマーホールディングス〉←ヤンマー農機)に続いて第3位のシェアを誇る大手メーカーの一角である。

愛媛県松山市馬木町700のISEKI M&D(旧:井関松山製造所)本社が登記上の本店[1]となっているが、実質的本社機能は東京都荒川区西日暮里5丁目3-14の本社事務所にある。

農業機械の開発には実績がある。1960年代、日本の稲作に適した田植機、コンバインの開発競争があった際には、その競争のトップランナーであった。1966年自走自脱型コンバインと呼ばれる日本型のコンバイン「HD50」[注釈 2]を最初に開発し、発売した。1971年に発売された「さなえ」シリーズは非常に人気を博した田植機である[注釈 3]。その後も、1986年には田植機のロータリー植付け機構(田植機の大幅な高速化を実現)を採用した「さなえラブリー」、1999年にはコンバインのズームオーガを採用した「フロンティア ビバ」[注釈 4]2004年には路上走行(移動)時や各作業時に変速機のシフトチェンジを不要にした乗用車感覚のイージーオペレーションが特徴のトラクター「ジアスATシリーズ」(小型~中型トラクター)および「T.Japan(ティー・ジャパン) TJシリーズ」(大型トラクター)業界初の自動植付け機能を搭載した「さなえ PZシリーズ」を開発、発売し、画期的で革新的な発明[注釈 5]を世に出している。近年では構成部品の価格適正化のために、一部の部品を韓国のTYM英語版(TONG YANG MOOLSAN)社より調達している。

1980年代の経営危機の後、創業家一族が退いた。2004年3月期決算では、1987年以来17期ぶりに、配当を実施した。農業機械の生産高は、クボタヤンマーアグリヤンマーホールディングス、旧・ヤンマー農機)に次いで2021年7月現在日本第3位。

旧・第一勧銀グループの一員である。

沿革

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主な製造・研究拠点

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自社拠点

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主要子会社拠点

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宣伝・広報活動

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かつてポルシェと提携したこともあり、1980年代前半にポルシェ956のレーシングチームのスポンサーとなり、「ヰセキポルシェ956」として参戦(その後、自動車部品製造メーカーであるトラスト(TRUST)のレーシングチームが発足すると、1987年にメインスポンサーが日本石油(現・ENEOS)に変わるまでの間、正式なメインスポンサーとして活動。)したこともあった。

マスコットキャラクター

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提供スポンサーだった番組

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かつて起用されていたCMキャラクター

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  • 坂上二郎(コンバイン「太郎(2代目)」&「小太郎」シリーズ)
  • 桜田淳子(田植機「さなえ(3代目、4代目)」シリーズ)
  • 加山雄三(トラクター「耕太(初代、2代目)」TS、TLシリーズ[注釈 10]等&「耕二」TXシリーズ)
  • 青木英美(トラクター「耕二(初代)」
  • 新沼謙治(トラクター「耕太(2代目)」TU、TLシリーズ[注釈 11]等)
  • ジャンボ鶴田(コンバイン「太郎(3代目)」シリーズ、管理機「ラックナー」)
  • ジャイアント馬場(コンバイン「太郎(3代目)」シリーズ)[注釈 12]
  • 小林綾子(田植機「さなえナイアガラ(5代目)」シリーズ、コンバイン「フロンティア(2代目)」[注釈 13]シリーズ)
  • 北大路欣也(コンバイン「フロンティア(2代目)」シリーズ、トラクター「ランドマックス」「ランドリーダー」「シアル(初代)」[注釈 14]シリーズ)
  • 池田政典(トラクター「ランドリーダー7」シリーズ他)

脚注

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注釈

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  1. ^ よく「セキ」と現代的な綴りで表示される場合も少なくないが、ブランド自体の正式な綴りは「セキ」となっている。現に子会社たる地域販売店でも「ヰセキ」のブランド名を社名に使用している。
  2. ^ 登場時のブランドは「フロンティア」だったが、1972年に同社初の乗用全面刈コンバインの発売に伴い、「太郎」というブランドに改名ししばらくの間親しまれる。しかし1985年に再び「フロンティア」のブランドに回帰し今日に到る。
  3. ^ 1975年にCMキャラクターに当時、人気アイドル歌手だった桜田淳子を起用して大ヒットする。
  4. ^ 穀物を搬送する螺旋を伸縮可能にする機構。
  5. ^ これは同業企業のヤンマーアグリにも同じ事がいえる。
  6. ^ エンジンはビクターオート社製の空冷単気筒2サイクルディーゼルエンジンが搭載されていた。
  7. ^ ホンダスーパーカブに類似した形態のビジネスバイクで、シリンダーヘッドのみ自然循環型水冷とした独自の空水冷2ストロークエンジンを採用。農協や農機販売店を中心に販促が行われ、OEM製造は川崎航空機工業(現・カワサキモータース)明石工場が担当した。また、その販売ルートの関係もあり、ペットやタフはヤマハメイトスズキバーディーのような他社のスーパーカブ類似車種と異なり、郵便事業向けの納入実績がない。
  8. ^ その後ポルシェ製トラクター「ポルシェ309トラクタ」および「ポルシェ329トラクタ」を参考にした国産トラクター「ヰセキトラクターTBシリーズ」(外見上は限りなく「ポルシェ329トラクタ」のコピーおよび縮小版に近い。「仮面ライダー」のニックネームがある)を1964年に開発・製造・販売する。ちなみにこの「TBシリーズ」には川崎航空機工業製の強制空冷2気筒4サイクルディーゼルエンジンが搭載されていた。さらに1970年には同社の「TBシリーズ」で培ったノウハウを活かし、いすゞ製水冷2気筒4サイクルディーゼルエンジンを搭載した後継シリーズであり基幹シリーズの「ヰセキトラクターTSシリーズ」に発展する。その後「TSシリーズ」は1975年にフルモデルチェンジに近い大規模なマイナーチェンジを実施し車体のカラーリングを赤色から青色に変更しバリエーションを拡大、いすゞ製水冷3気筒4サイクルディーゼルエンジンを30馬力以上の上位機種に搭載する。モデル末期には四輪駆動仕様やターボディーゼル仕様などが加わる。
  9. ^ 50ccはセルモーター搭載車を追加、55ccモデルの新設で計3車種に増加。OEM製造はペット50と同じく川崎航空機工業(当時)明石工場。
  10. ^ TLシリーズに関しては前期モデルのCMのみ出演。
  11. ^ TLシリーズに関しては後期モデルの「レーダーマチック」篇のCMのみ出演。
  12. ^ 「全日本代表・ジャンボ太郎」篇のみのCM出演でジャンボ鶴田と共演した。
  13. ^ 最初期のCMのみ出演。
  14. ^ ただし「フロンティア(2代目)」は中期モデルのCMのみ出演、「シアル(初代)」は前期モデルのCMのみ出演。

出典

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関連項目

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日本の農業機械製造業

その他

外部リンク

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