久能司
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久能 司(くのう つかさ、文久元年12月11日[1](1862年1月10日) - 昭和14年(1939年)4月18日[1])は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。教育者。
人物
[編集]越前国丸岡藩士久能賢良の二男として江戸藩邸で生まれる[1]。藩校、同人社、陸軍幼年学校を経て、1882年(明治15年)に陸軍士官学校(旧5期)を卒業し、同年12月25日、陸軍歩兵少尉に任官した[1][2][3]。近衛歩兵連隊附、陸軍幼年学校附、陸軍士官学校教官、近衛歩兵第2旅団副官、歩兵第30連隊大隊長、歩兵第26連隊大隊長、神戸連隊区司令官、歩兵第10連隊長、歩兵第39連隊長、陸軍中央幼年学校長を歴任し、その間に日清戦争・日露戦争に出征した[2]。1910年(明治43年)11月30日、陸軍少将に任じられ[1][3]、歩兵第18旅団長、歩兵第19旅団長、臨時朝鮮派遣隊司令官を務めた[2]。1915年(大正4年)3月12日、陸軍中将に任命されるとともに、予備役に編入された[1][3]。
1917年(大正6年)、社団法人日本体育会副会長に就任し、日本体育会体操学校(現在の日本体育大学)校長も兼ねた[1]。また1918年(大正7年)からは財団法人帝国飛行協会理事、総務理事も務めた[1]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。
- 大日本頌徳会編纂部『遺徳顕彰録 第二輯』大日本頌徳会、1940年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。