海老名国分駅
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海老名国分駅 | |
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海老名国分駅跡付近 (2006年11月撮影) | |
えびなこくぶ Ebina-Kokubu | |
◄座間 (2.2 km) (2.7 km) 河原口► | |
所在地 |
神奈川県高座郡海老名町 大字国分3092番* |
所属事業者 | 小田原急行鉄道→東京急行電鉄 |
所属路線 | 小田原線 |
キロ程 | 41.4 km(新宿起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 相対式ホーム2面2線 |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)4月1日 |
廃止年月日 | 1943年(昭和18年)4月1日 |
備考 |
海老名駅開業に伴い廃駅 現在の神奈川県海老名市国分北 |
海老名国分駅(えびなこくぶえき)は、神奈川県高座郡海老名町大字国分3092番(廃止時。現・海老名市国分北一丁目20番24号付近)にあった東京急行電鉄(廃止時)小田原線の廃駅。
以下、当時のことに関する記述は、特記がない限り廃止時点におけるものである。
地理
[編集]小田急小田原線の現在の海老名駅から、同線の約1.1km新宿寄りにある、小田急電鉄海老名変電所[注 1]の辺りにあった。現地に行くと、線路の両脇の線路敷地に余裕があることがわかる。
駅構造
[編集]駅周辺
[編集]駅東側には、当時の名残と思われる商店が、現在でもいくつかある。
- 相模国分寺(1923年(大正12年)8月4日に重要文化財に国から指定された「銅鐘」がある。約1.1km)
- 相模国分寺跡(国分寺が火災などにより室町時代に移転する前の跡地。1921年(大正10年)3月3日に、国の史跡に指定されている。史跡指定前後から数回にわたり発掘調査がされ、現在広場として保存されている。約800m)
- 海老名村役場(現・海老名市郷土資料館「海老名市温故館」。町制施行後も、1965年(昭和40年)までこの場所が役場だった。約1.0km)
- 相模国分駅(神中鉄道(現・相模鉄道の信号場)。乗り換えには、約400m歩く必要があった。そのため、神中鉄道との乗り換えには河原口駅(現・厚木駅)を利用することになっていたようだ。ただし、1929年(昭和4年)2月までは、河原口駅と神中鉄道の厚木駅は約400m離れていて、こちらも乗り換えには不便だった。神中鉄道がここから海老名駅まで延伸した時に、信号場となった。詳しくは相模国分駅、厚木駅を参照。)
- 海老名駅(神中鉄道神中線(現・相鉄本線)。相模国分駅が信号場となった時に開業。乗り換えには、約1.1km歩く必要があった。東急小田原線と境界駅であったが、東京急行電鉄の列車はすべて通過していた。そのため、神中鉄道との乗り換えには河原口駅(現・厚木駅)を利用することになっていたようだ。詳しくは海老名駅、厚木駅を参照。)
- 上今泉停留場(相模鉄道(現・JR相模線)。1931年(昭和6年)4月29日に開業。乗り換えには、約1.0km歩く必要があった。そのため、相模鉄道との乗り換えは、河原口駅(現・厚木駅)⇔厚木駅または中新田停留場を利用することになっていたようだ。こちらの乗り換えも、距離があり、不便であった。河原口駅 - 厚木駅は約400m、河原口駅 - 中新田停留場も約400mの道のりがあった。相模鉄道相模線の国有化に伴い、中新田停留場とともに廃止されている。)
- 海老名村立尋常高等海老名小学校今泉分教場(海老名市上今泉四丁目にある常泉院の敷地内にあった。1933年(昭和8年)4月閉校。)
- 弥生神社(1909年(明治42年)3月に、いずれも海老名村の、国分の八幡社(誉田別命)、上今泉の比良神社(猿田彦命)、柏ヶ谷の第六天社(高産霊命)、聖地の大綱神社(日本武男命)の4社を合祀して創建された。駅東側に参道がある。約200m)
- 瑞雲山龍峰寺(弥生神社を通り越した先にある。1928年(昭和3年)に現在の地に移築した。それまでは、現在の海老名市立海老名中学校の場所にあった。約300m)
- 興徳山清水寺(相模国分尼寺境内にあった湧河寺の後身。明治初頭に龍峰寺の境外仏堂となり、龍峰寺がこの地に移設されてから、龍峰寺の境内となる。1925年(大正14年)4月24日に重要文化財に国から指定された木造千手観音立像で有名。約300m)
- 相模国分尼寺跡(室町時代ごろ、僧寺である国分寺と統合されたらしい。1988年(昭和63年)から数回にわたり発掘調査がされた。1997年(平成9年)4月3日に、国の史跡に指定されている。現在は、公園として保存されている。約200m。現在の座間15号踏切の東南東約50m)
- 尼の泣き水(国分寺境内にある。この場所にまつわる悲恋物語が伝わる。約800m)[1]
歴史
[編集]- 1927年(昭和2年)4月1日 - 小田原急行鉄道の新宿 - 小田原間の開業に伴い、開業。開業時は、当駅から新宿寄りは複線、小田原寄りは単線であった。「直通」の停車駅となる。
- 1927年(昭和2年)10月15日 - 小田原急行鉄道は全線複線となる。
- 1940年(昭和15年)12月20日 - 海老名村は町制を施行。
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)5月1日 - 小田急電鉄が東京横浜電鉄に合併して改名した、東京急行電鉄の小田原線の駅となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 小田原線海老名駅[注 3]の営業開始に伴い、相模鉄道(この日に神中鉄道を合併)との接続が実現することになったため廃止。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 小田急小田原線と神奈川県道407号杉久保座間線が交わる、座間14号踏切の南南西50mの海老名市国分北2丁目5番5号にある。
- ^ 現在の海老名駅とは違う。現在の相鉄本線海老名駅より、約200m横浜寄りの位置にあった。詳細は海老名駅を参照。
- ^ 現在の海老名駅とは違う。現在の小田急小田原線海老名駅より、約400m新宿寄りの位置にあった。当時の海老名駅は、相模鉄道と東京急行電鉄の共同使用であった。詳細は海老名駅を参照。
- ^ 海老名国分駅廃止前に駅名を2回改称している。詳細は座間駅を参照。
- ^ 現在の海老名駅とは違う。現在の小田急小田原線海老名駅より、約400m新宿寄りの位置にあった。神中鉄道と東京急行電鉄の接続駅として開業したが、東京急行電鉄の列車はすべて通過し、神中鉄道の「東京急行電鉄小田原線の相模厚木(現・本厚木)」への直通列車と、神中鉄道神中線内折り返し列車のみ停車していた。詳細は海老名駅を参照。
- ^ 海老名国分駅廃止後に厚木駅と改称し、相模川橋梁の架け替えに伴い駅を移設している。詳細は厚木駅を参照。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 小田急沿革史編纂委員会編集『小田急二十五年史』、小田急電鉄株式会社 昭和二十七年十月三十日発行
- 小田急電鉄株式会社 社史編集事務局編集『小田急五十年史』、小田急電鉄株式会社 昭和五十五年十二月二十七日発行(海老名国分駅の場所にかかわる記述に誤りがある。)
- 海老名市史編集委員会編集『えびなの歴史-海老名市史研究-第8号』、海老名市企画部市史編さん室 平成8年9月25日発行
- 海老名市教育委員会生涯学習部文化財課編集『えびなの歴史-海老名市史研究-第15号』、海老名市 平成17年3月30日発行
- 海老名市編集『海老名市史 5 資料編 現代』、海老名市 平成十七年六月三十日発行
- 『神奈川県高座郡海老名村 地番反別入図』(昭和3年8月発行)